神と人が共に食す四季の味覚

 山の幸、海の幸に恵まれ、めぐる季節ごとに旬の物を味わえる幸多き国土に暮らす日本人は折々、神の供物を奉げ、それをいただくことで力を分け与えられながら生きてきた。 四季の年中行事につきもののさまざまな食べ物。 これらにまつわる言い伝えや由来を紹介しよう。

神人共食の儀礼

 特定の日に神に食物を奉げ、それを下ろして人が食べる。 この神人共食は日本の祭りの特徴とされる。


初物を食べると

 初穂は神仏に供えられるが、庶民も初物を求める。 これは今も昔も同じこと。 とりわけ見栄っ張りで気の早い江戸っ子は通を競って初物を求めた。 その過熱ぶりが食料価格の高騰を招き、幕府が初物の購入を禁ずるお触れを出すほどだった。
 初物の代名詞が何と言っても初鰹だ。 青葉の頃に釣り上げられると、飛脚が急いで江戸の町に届けた。 初鰹に初鮭、初茄子、初茸を並べて初物四天王と呼んだ。


日本の食料事情

 とはいえ、 「四里四方に病なし」 というくらいで、地元でとれたばかりの旬の物を食べていれば、健康に良いのはまちがいない。
 農業の技術の進歩によって年中、好きな野菜が食べられるようになったのはいいが、旬を味わい、季節を感じれば、また格別の喜びを得られる。 日本人は年中行事をさまざまな食べ物で祝ってきた。 食事を通して自然の力を取り入れる生活を取り戻すため、築き上げてきた豊かな食文化に改めて目を向ける必要がありそうだ。




食の歳時記
日付は特にことわりのない場合、新暦。 二十四節気などの日付は2013( 平成25 )年のもの。 また新暦への移行後、旧暦の日付で行う年中行事に季節のずれが生じた。 これを修正するため、ひと月後の同じ日に月遅れとして行うものもある。

1月

1日( 元日 ) 【 御節料理 】
 正月3ヵ日は神を迎えるため、家事を休み、用意しておいた御節を食べる。
 雑煮は直会なおらい( *1 )に由来し、本来は大晦日の夜、年神様を迎えるために供えた餅や野菜を下げ、これらを煮込んで参加者が分け合って食べるもの。 地域色が強くて、たとえば関東は切り餅、関西は丸餅が多い。
 お屠蘇は屠蘇散を酒に混ぜたもので邪気を払い、長寿をもたらすとされる。 元旦、新年の挨拶を交わした後、男性は片手、女性は両手で杯を持ち、正しくは若い順から飲む。 これには毒見の意味が込められている。

7日( 人日の節供 ) 【 七草 】
 旧暦1月7日は五節供のひとつの人日( *2 )だ。 中国では人日に七種菜羹しちしゅさいのかんという吸い物を作る風習があり、これが日本に伝わり、平安時代に米、あわきびひえ篁子みの、胡麻、小豆で七種粥を作るようになった。 これが古くからある若菜摘みと結び付いて、鎌倉時代に七草ななくさになった。

11日( 鏡開き ) 【 汁粉 】
 鏡餅は年神様の霊を宿らせるため、神事に用いる青銅鏡を模して丸い形にしたとされる。 ほかに陰陽をなす月と日に見立てたものとも、心臓の形を表わすものとも言う。 供えるときは、だいだい、昆布、シダの一種の裏白うらじろなどを添える。 鏡開きの日に、鏡餅を木槌きづちなどで砕くが、このさい、刃物は使わない。 砕いた餅を汁粉や吸い物にして食べることで霊力を授かる。 今も20日に行う地方 があり、6月1日の歯固め( *3 )まで鏡餅を保存する地方もある。

15日( 小正月 ) 【 小豆粥 】
 左義長さぎちょうやナマハゲなどさまざまな行事が催される満月の正月である小正月に米粉の団子や小豆粥を作るならわしがある。 粥を作るとき、削掛けずりかけ( *4 )の粥箸でかき回すが、これで新婦の尻を打つ嫁叩きの行事も広く見られる。


2月

3日( 節分 ) 【 豆 】 ( 二十四節気 )
 節分とは四季の節目のことで、年に4回あるが、旧暦では立春が年始となるため、これが重視され、いつしか節分と言うと、この節分を指すようになった。
 立春の前日、った豆を年男に供え、豆まきを行ない、まいた豆を自分の年よりひとつ多く食べることで無病息災を願う。
 「いわしの頭も信心から」という諺があるが、鰯の頭をひいらぎの枝に剌して戸口に掲げ、鰯の頭を火であぶって煙を立ち込めさせるならわしもある。 これは見かけなくなったが、代わって節分行事として近ごろ広まっているのが恵方巻( *5 )だ。


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 立春 2月4日

8日( 針供養 ) 【 煮しめ 】
 女性は針仕事を休み、針を神社に納めたり、豆腐や蒟蒻こんんにゃくなどの柔らかい食べ物に剌したりして供養する。 この日、煮しめや五目飯を作るならわしがある。 12月8日に行われる場合もある。

9日( 初午はつうま ) 【 稲荷寿司 】
 初午とは旧暦2月の最初の午の日のこと。 伏見稲荷大社の祭神である稲荷大神が、稲荷山の三ヶ峰に初めて鎮座されたのが、711年(和同4)の初午の日とされ、これをしのんで稲荷神社の祭礼が行われる。 稲荷大神は農業の神様だが、商売繁盛、家内安全の神様としても崇められる。 初午詣の日、油揚や鰯、赤飯が供えられる。 農業を開始する時期に当たり、豊作祈願の儀式が農神の性格を持つ稲荷犬神の信仰と結び付いたものとされる。


3月

3日( 上巳じょうしの節供 ) 【 蛤 】
 雛壇に供える菱餅や白酒はおなじみだが、蛤の吸い物を作る風習もある。 この時期は大潮であり、気候も温かくなるため、上巳の節供に磯遊びをする習慣があり、その名残だ。 2枚の貝殻がぴったりと合わさる蛤が、夫婦和合の象徴とされることも影響しているらしい。

20日( 春の彼岸の中日 ) 【 牡丹餅 】
 春の彼岸には、牡丹の花に見立てて、牡丹餅と呼ぶ。

4月

8日( 花祭 ) 【 甘茶 】
 なぜか日本ではキリストの誕生日とされるクリスマスは盛大に祝われるが、仏教の開祖であるお釈迦様の誕生日のほうは比較的静かに過ぎていく。 お釈迦様の誕生日に当たるのが4月8日で、この日、花祭( *6 )が行なわれる。 大々的に行われないのは、旧暦から新暦に移行したため、日がずれたことも影響しているのかもしれない。 関西は月遅れの5月8日の実施が多い。
 とはいえ、由緒正しい行事であり、 『日本書紀』 に 「4月の8日、7月の15日に設斎おがみす」 との記述があるから、7世紀初めの推古天皇の時代から行われていたことがわかる。
 草花を飾った花御堂はなみどうに仏像を安置して、これに甘茶を注ぎ、無病息災を祈る。 甘茶には厄除けの効果があるとされる。


5月

2日( 八十八夜 ) 【 新茶 】
 その年の最初に新芽を摘んで作ったお茶を一番茶と言う。 特に立春から数えて88日目の八十八夜に摘まれた新茶は栄養価が高いとされ、不老長寿の縁起物とされた。


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 立夏 5月5日

5日( 端午たんごの節句 ) 【 柏餅 】
 端午の節句は江戸時代に男子の節句となり、柏餅を食べる習慣ができた。 柏の葉は新芽が出るまで古い葉が落ちないことから、縁起をかつぎ、子孫が途絶えず、家が続くことを願ったもの。 柏餅は関東で祝いに用いられる。 そもそも西日本に柏はほとんど自生しない。
 端午の節句に食べるちまきの起源には、中国の戦国時代の詩人で5月5日に自死した屈原くつげん( *7 )の霊を鎮めるため、笹の葉に包んだ飯を川に投げ入れて遺体が魚に食べられないようにしたという故事がある。
 また草餅を作るのに使うよもぎは消毒やきゅうのもぐさに用いられる薬草で、魔よけの力があるとされる。


6月

1日~30日( 食育月間 )
 6月には全国的に知られた食の年中行事はないが、平成17年の食育基本法の成立が6月だったこともあって、年度前半に食育への関心を高めようということになり、国の食育推進基本計画で毎年6月を食育月間と定めている。
 食の安全が重点的に普及啓発を図るとされているのが、食を通じたコミュニケーション、バランスの取れた食事、望ましい生活リズム、食を大切にする気持ち。 食の伝統にも力を入れていただきたいところ。


7月

2日( 半夏生はんげしょう ) 【 たこ
 七十二候の夏至末候は 「半夏生ず」。 夏至から11日目に当たる半夏生は雑節のひとつでもある。 この日、京都ではタコを食べる習慣があり、 「蛸の日」 に制定された。
 香川県生麺事業協同組合の制定による 「うどんの日」 でもある。 この時期、新麦を神様に供え、麦の粉で作る混鈍こんどんを食べるならわしがあった。 この混鈍が饂飩うどんに発展したという。

7日( 七夕しっせきの節供 ) 【 七夕のそうめん 】
 ( 月遅れは8月7日 )
 五節供のひとつ七夕は本来、旧暦7月7日だが、新暦7月7日が一般的となった。 この日、素麺そうめんを食べる習慣が昔からあり、江戸時代の 『東都歳時記』 にも記述が見られる。 元は中国から仏教の伝来と共に渡来した索餅さくへいという唐菓子が用いられた。 縄状の菓子で、これが素麺の元になったとされる。

19日( 夏の土用の入り ) 【 土用のうなぎ 】
 夏の土用のうしの日にうなぎを食べるが、これについては、平賀源内( *8 )が知り合いの鰻屋に販売促進の知恵を求められ、 「本日土用の丑の日」 と書いた紙を店頭に貼ったところ、大いに繁盛したという逸話が有名だが、宣伝の発案者を太田蜀山人しょくざんじん( *9 )とする説もある。 いずれにせよ鰻が健康の維持に役立つことは古くから知られており、 『万葉集』 で大伴家持が詠っているほど。
 うなぎに限らず、馬、牛、梅干など、 「う」 のつく物を食べる習慣もある。


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 立秋 8月7日

8月

15日( 月遅れ盆 ) 【 精進料理 】
 祖先の霊をまつるお盆の期間は、精進しょうじん料理を供え、家族も同じ物をとる。 精進とは仏道修行に努めることで、肉類などの美食を避けた穀類や野菜、山菜などの精進料理を食する修行のひとつとされる。 盆棚には、初物の野菜や果物、故人の好物、浄土へのおみやげの白玉団子を供える。 期間を終えて食べる食事を、精進落とし、精進明けと言う。 新暦の7月15日(2013年は新暦8月21日)に行つのが新盆。


9月

9日( 重陽ちょうようの節供 ) 【 菊酒きくざけ
 江戸時代、五節供のひとつの重陽の節供には諸大名が登城し、長寿を願って菊の花を浸した菊酒で祝った。 江戸時代は庶民も菊酒や栗飯くりめしを食べたが、明治以降、菊の品評会などが行われるものの、節供としての性格は薄れた。

19日( 十五夜 ) 【 芋 】
 月の満ち欠けを基にした旧暦では毎月15日が満月となるが、特に旧暦8月(仲秋)の月がことに美しいとされ、この日を十五夜と呼び、月見を行うならわしがある。 収穫したばかりの芋を供えることから、芋名月とも言う。 月見団子は里芋を模したもの。 昔は子どもが月見の供物をこっそり取っても叱らないというしきたりがあった。

23日( 秋の彼岸の中日 ) 【 お萩 】
 春の彼岸の牡丹餅ぼたんもちに対して、秋の彼岸では、小豆の粒を萩の花に見立てて、お萩と呼ぶ。 牡丹餅やお萩の語源については異説もあるが、 『和漢三才図会わかんさんさいずえ( *10 )に 「牡丹餅および萩の花は形、色をもってこれを名づく」 とある。 小豆の赤色は災いを避けるとされる。


10月

10日( 十日夜とおかや ) 【 牡丹餅 】
 十日夜は東日本を中心とする収穫祭で、これをもって田の神が山に帰るとされる。 十日夜のさい、牡丹餅を供える。

12日( の日 ) 【 亥の子餅 】
 亥の月( 10月 )の最初の亥の日の亥の刻( 午後10時ごろ )に亥の子餅を食べると万病を除くとされ、無病息災を願って食べる。 いのししが多産であることから、子孫繁栄の御利益があるともされる。 形や材料は地方によってさまざま。 本来の亥の月に当たるのが旧暦10月であることを重んじて、11月に入ってから売り出す店も多い。

17日( 十三夜 ) 【 栗 】
 旧暦の9月13日から14日の夜にかけて十三夜の月を鑑賞する風習がある。 新暦では17日に当たる。 十五夜と十三夜は同じ場所で観るべきものとされ、一方だけ観ることは 「片見月かたみづき」 として忌まれた。 日本独自の風習で、あとの月見とか、お供え物から、栗名月、豆名月とも言う。

20日( 恵比寿講 ) 【 べったら 】
 恵比寿講とは、神々が出雲に集まる神無月( 旧暦10月 )、留守神様として生業なりわいの守り神の恵比寿( *11 )を祀る民間行事で、農村では蕎麦や小豆飯、二股大根などを供え、商家では鯛や柿、栗などを供える。


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 立冬 11月7日

11月

15日( 七五三 ) 【 千歳飴 】
 かつては子どもの誕生日に祝っていた七五三だが、明治時代になってから、この日、一斉に行つようになった。 七五三や宮参りの縁起物とされる千歳飴は江戸時代に初めて売り出された。 浅草の七兵衛という飴売りが、めでたい絵柄の紙袋に入れて売り出して人気を集めたとされる。 護符ごふ代わりに分ける神社もある。


12月

22日( 冬至 ) 【 南瓜 】
 冬至に南瓜かぼちゃを食べれば、魔除けになり、風邪を引かないとされる。 南瓜は舶来の野菜で別名、南京なんきん

31日( 大晦日 ) 【 蕎麦 】
 大晦日に蕎麦を食べる風習はおなじみのものだが、由来には諸説ある。 長い形が長寿を連想させるというのが一般だが、切れやすい蕎麦に託して苦労を翌年に持ち越さないように願ったとする説、これとは対照的に、金銀細工師が散らばった金粉を蕎麦粉の団子で集めることから金を集める縁起物とする説もある。 年の暮れを迎えた庶民の気分はその時々の好不況でだいぶ変わるものらしい。


( *1 )『直会』祭事が終わって、供え物の神酒みき神饌しんせんを下げて酒食する宴。
( *2 )『人日』中国で人を殺さないとされた日。刑の執行が控えられた。
( *3 )『歯固め』長寿を願い、また祝って、餅や栗などの硬い物を食べる儀式。
( *4 )『削掛』生命力にあふれた若木を用いて農作物をかたどった物。
( *5 )『恵方巻』大阪の船場あたりが発祥の地とされる。恵方こ向かい無言のまま太巻きを丸かじりする。海苔業者の団体が2月の節分を「のり巻きの日」とした。
( *6 )『花祭』花祭は明治時代から使用されるようになった言葉で、潅仏会かんぶつえ仏生会ぶっしょうえ降誕会ごうたんえとも言う。
( *7 )『屈原』(紀元前343~278年)戦国時代後期に楚の王族として生まれる。「楚辞」の彼の詩は後世の詩の創作に大きな影響を与えた。
( *8 )『平賀源内』1728年(享保13)~1780年(安永8)。讃岐の生まれ。本草学者、蘭学者、戯作者、発明家などとして多面的な才能を発揮した。
( *9 )『太田蜀山人』1749年(寛延2)~1823年(文政6)、狂歌、洒落本、漢詩文、狂詩、などをよくした。幕吏ながら、文人・狂歌師として活躍した。
( *10 )『和漢三才図会』大坂の医師寺島良安が編纂した類書(絵入りの百科事典)。1712年(正徳2)ごろ出版された。
( *11 )『恵比寿』狩衣かりぎぬで右手に釣竿、左手に鯛を抱える姿で知られる。七福神のー柱、夷、戎とも書く。




おせちおとそ
 日持ちのする料理法、バランスの取れた食材。 歳神様をおもてなしするのだから、おせちは一年でいちばんのご馳走である。

家庭の味の原点がここにある。



おせちの食材
料理名  食材
祝い肴三種黒豆
数の子
田作り(ごまめ)
たたきごぼう(酢ごほう)
紅白かまぼこ
伊達巻
搗ち栗(かちぐり)
栗金団(くりきんとん)
お多福豆
焼き肴鰤の焼き物
鯛の焼き物
海老の焼き物
鰻の焼き物
酢の物紅白なます
ちょろぎ
酢蓮(すばす)
煮しめ昆布巻き
陣笠椎茸(椎茸)
楯豆腐(豆腐)
手綱こんにゃく(こんにゃく)
芽出しくわい(くわい)
花蓮根(蓮根)
矢羽根蓮根(蓮根)
八ツ頭(里芋)
金柑(きんかん)
梅花にんじん(人参)
 御節おせち料理は、年5回の節句、上巳じょうし人日じんじつ端午たんご七夕しちせき重陽ちょうように作られる料理だった。 節句の料理がおせちという呼び名に転じた。

 おせちの原型は奈良時代の宮廷に見ることができるが、宮中、武家、豪商の順に広まり、一般庶民に普及したのは江戸時代といわれる。 江戸中期の 『風俗問状答ふうぞくといじょうこたえ( *1 ) の中には、祝い肴に何を入れているかなどの詳細な回答が記載されているほか、 『守貞謾稿もりさだまんこう( *2 ) の食類の巻にも江戸時代のおせちにの材料が記述されている。 おせちと呼ぶようになったのは江戸後期のことである。
 おせちの基本な構成は、祝い肴種( ざかな口取くちとり )、焼き肴、酢の物、煮しめからなる。 三つ肴の内容は関東では黒豆、数の子、ごまめ、関西では黒豆、数の子、たたきごぼうで、地方ごとに多様である。
 おせちの本来の役割は、歳神様を迎えて、神と人間とが祝い箸を用いて共に食事をすることにある。 お供えし、もてなしたおせちを、分け与えられて人間がいただく。 これを神人共食しんじんきょうしょくといい、神道の祭事の基本とされる。
 現在のようなかたちに平準化されたのは、昭和40年代、料理番組が始まり、料理雑誌が相次いで創刊されたことによるという。
 もうひとつ、おせちと共に欠かせない存在はお屠蘇とそである。 1年間の邪気を払い長寿を願って呑む薬酒で、日本酒に、数種類の薬草からなる屠蘇散とそさん、みりん、砂糖などを加える。 これを独特の屠蘇器で、若年者から順に飲むならわしだ。 屠蘇散は山椒さんしょう細辛さいしん防風ぼうふう肉桂にっけい乾薑かんきょう白朮びゃくじゅつ桔梗ききょう( *3 )からなり、薬草でありながら薬局・薬店ではあまり見かけず、コンビニやスーパーのハーブーコーナーにも並ばない。 入手は主としてインターネット上のショッピングサイトになる。
 和の食材、濃い味付けが敬遠されてか、ここしばらくはおせち離れが進んでいた。 元旦からレトルトカレーとCMもうたった。 だが、家庭の味の復権と、お正月文化そのものが復興するなかで、さまざまに味も形も変えながら、おせちは維持され、発展し続けている。 お正月の中心におせちがある限り、新年を家族で祝うならわしは続いていくだろう。
( *1 )『風俗問状答』幕府の右筆ゆうひつ屋代弘賢やしろひろかたが全国に送つた“風俗問状”に対する回答集。右筆とは武家の秘書役の文官。
( *2 )『守貞謾稿』江戸時代の風俗、事物を図解で説明した事典。著者は喜田川守貞きたがわもりさだ。1837年(天保8)にスタートし、35巻に及んだ。
( *3 )『山椒・細辛・防風・肉桂・乾薑・白朮・桔梗』健胃薬としての効能があり、初期の風邪にも効く。






 邪気を払う。病気をしない。
 その昔、春の七草が全部入った粥は貴重なビタミン源だった。 縁起物として定着した日本の食文化の重要な一員だが、春の七草をすべて言える人も少なくなり ……。

 1月7日の朝、春の七草が入ったお粥を食べるならわしの原型は、平安時代ごろにはあったと考えられている。 平安時代中期に編纂へんさんされた 『延喜式えんぎしき( *1 )によれば、1月15日、米・あわきびひえ・みの・胡麻・小豆の七種の穀物( *2 )を使った粥を食べる行事があったというが、どういった趣旨で行われていたかは不明。 ただ、平安時代に流行し、 『源氏物語』 の 「若菜わかな( *3 )にも登場する 「の日の遊び」 は、現代の七草粥に近い。 その年最初の子の日に、小松( *4 )を引き抜き、若菜を摘んで祝宴を設けたという。 「子の日」 は 「根延び」 につながり、松は常緑で枯れない樹であるとして、無病長寿を願う習わしだったようだ。
 中国でも、1月7日に七種の野菜の煮物( 七種菜羹しちしゅさいのかん )を食べて無病息災を祈る風習があった。 この日を 「人日じんじつの節句」 と呼び、日本でも江戸時代には、五節句のひとつとして重要視されていた。 将軍をはじめとし、諸侯が七草を食べる儀礼が公式行事となっていたという。
 つまり、現代の七草粥の風習は、さまざまな行事が混じりあったものだと考えるべきだろう。 七草粥を食べると、邪気を払い、病気をせずに1年を過ごせると言われているが、お正月に食べ過ぎて疲れた胃を休め、青物の少ない季節に不足しがちなビタミンを補給するという合理的な意味合いもある。
 一般に、春の七草とは、せりなずな御形ごぎょう繁縷はこべら仏の座ほとけのざすずな蘿蔔すずしろの7種類とされている。 聞き覚えのない野菜ばかりだと思われがちだが、スズナは蕪、スズシロは大根のこと。 ナズナはいわゆるペンペン草、ゴギョウはハハコグサのことと、川原に出れば、全種類見つけるのもさほど難しくはない。 近年では、スーパーなどでも7種類をセットにして販売しているので、入手は容易だろう。
 七草粥は、6日の夜から支度を始める。 まないたの上に七草を乗せ、歌を歌いながら包丁で叩いて刻んでおき、7日の朝に炊いたお粥に入れるのだ。 6日に歌う歌は、地方により細部が違うが、 「七草なずな 唐土もろこしの鳥が 日本の土地に渡らぬ先に」 という文句が入るものがほとんど。 古代の人々は、流行病は、唐土から飛来する渡り鳥がもたらすと考えられていたのだ。
 また、1月15日の小正月に、作物を荒らす鳥を追い払うために行われる 「鳥追い」 行事と混同したのだとも言われている。 何にせよ、七草粥が、病気を払う縁起物と考えられ、1年の安寧あんねいを祈って食べられ続けてきたのはまちがいがないだろう。
( *1 )『延喜式』平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)で、三代格式のひとつ。
( *2 )『…七種の穀物』七種類の穀物の粥。七種粥が小豆粥に他の穀物を加えて成立したという見方。
( *3 )『若菜』源氏物語中最長の巻。光源氏39歳の12月から41歳の3月までの話。
( *4 )『小松』小さい松、若い松。