食の崩壊と家庭① 「きれる」 と 「孤食」
食の崩壊と家庭② 円満な家庭の料理こそ世界一の美食
食の崩壊と家庭③ 「食の崩壊」 の背景
食の崩壊と家庭④ 少年犯罪とキレる食事
食の崩壊と家庭⑤ 家族における 「食事の思想」
食の崩壊と家庭⑥ 「免罪フード」 が物語る食卓の崩壊
食の崩壊と家庭⑦ 家庭の食卓を崩壊させる 「個の尊重」
食の崩壊と家庭⑧ クリスマスとお正月にみる無惨な食事
食の崩壊と家庭⑨ マヨネー 一味に制圧された日本
食の崩壊と家庭⑩ 「払わない」 恥を知れ
旬産旬消、地産地消のすすめ
食料自給率40%の危ない現実
食料自給率40%の愚かな現実
本来の 「魚食」 に戻ろう
「魚食スペシャリスト検定」 とは?
バカな消費者がマグロを滅ぼす
「世界の和食」 はいかにして成立したか





食の崩壊と家庭①
 


 最近、子供の 「きれる」 「むかつく」 が問題になり、原因論議が盛んだ。
 なかでも、食生活に 「きれる」 原因を求める意見が多い。 例えば、週刊朝日( 5月1日号 )には、子供の食生活に関するこんな調査結果が報告されている。

 福山市立女子短大の鈴木雅子教授らが広島県福山、尾道両市内の中学1~3年の男女約1200人を対象に行った調査結果を、食生活のいい順A~Eの5段階に分類したところ、食生活の悪いD、Eの7~9割が、いらいらする、腹が立つ、すぐカッとする、学校に行くのがいや、などの心理状態になっている。 つまり、 「きれ」 易いというのだ。

 「野菜、海藻類、牛乳などの摂取が少ない。 一方でインスタント食品やジュース類の摂取が多く、朝食は半数がとっていなかった …… 際立っていたのが、最も食事のバランスが悪い女子生徒のEグループ。 全員が 『腹が立つ』 と訴えている。 また、 『すぐカッとする』 でも、食事のバランスのいいAグループでは1割しかいないのに、Eグループは3人に2人。 男子生徒Eグループは …… 9割近くにのぼっている 」

 では、なぜ、こうした食生活が 「きれる」 ことにつながるのか。

 「現代の食生活は、カロリーは十分足りているのに、ビタミン、ミネラル、食物繊維などの不足で 『脳の栄養失調』 になっているのです 」

 とりわけ、糖分の取りすぎは、脳の栄養循環を悪くする。 鈴木教授も、 「子供たちの1日摂取量は70グラム以下が望ましいとされているのに、調べてみると平均100グラムを超えています。 14歳の男子で1日420グラムという例もありました。 1キロ入りの砂糖を1日で半分近く食べている」 と指摘する。

 こうした子供の食生活の悪化について、子ども調査研究所の高山英男氏は、 「朝食を抜いたり、帰宅してカップ麺やおやつを食べたりして塾に出かける。 終わるとコンビニで駄菓子類を買い、家に戻って遅い夜食を取るというパターンです。 3度の食事というメリハリのある食生活はなくなり、1日じゅう間食のような食生活になりがち」 と嘆く。 つまり、家族がバラバラに食事をする 「孤食」 に原因がある というのだ。

 もちろん、 子供が 「きれる」 のは食事だけが原因ではないだろう。 しかし、 学校教育荒廃の一因が 「家庭のしつけ」 の不在にあることは衆知の事実であり、 「孤食」 と 「きれる」 との因果関係は、 まさに 「家庭の不在」 を具体的に示している。






食の崩壊と家庭②
 



◆ 「主婦は誇りと喜びをもって、臨む職業です」

 最近、 『くたばれ専業主婦』 というとんでもないタイトルの本を本屋で見かけた。 それから何日か経ったある日、新聞をめくっていると、毎日新聞(10月22日夕刊 )に 「主婦は誇るべき職業」 という記事があり、思わず目が止まってしまった。

 そこに紹介されていたのは、神戸で 「ザ・クイーンズ・フィニッシングスクール」 という花嫁学校を主宰する佐藤よし子さんという主婦( 45 )。

 佐藤さんはかつて英国のザ・イーストボーン・カレッジで、未婚の女性が家事能力全般を身につけるための 「家政学」 を専攻したというが、その理由をこう語っている。

 「家事というと日本では、ぬかみそ臭いというイメージが根強く、留学生としては異例の選択でした。 けれども 『ハウスキーピング( 家政 )は、おしゃれですてきなこと』 というアドバイスに心ひかれ、同校の門をたたいたのです 」

 なるほど、家族や家庭を 「女性の抑圧装置」 として、家事からの解放を唱えるフェミニズムよりも、よほどまともで前向きな考え方だと思う。

 「家事をつかさどる者の重要性が、見直されるべきときではないでしょうか。 専業主婦を 『無職』 とみなす風潮も残っていますが、主婦は秘書であり、会計士であり、料理長であり、相談役であり、教育者でもある。 誇りと喜びをもって、臨む職業です 」

 佐藤さんのコメントには、くたばれ何とかのようにトゲトゲしいところがまったくなくて、すがすがしい気持ちになった。


◆円満な家庭の料理こそ世界一の美食である

 まさに主婦は 「扇の要」 のように、家庭にはなくてはならない存在だということなのだろう。 だからこそ、その役割がおろそかにされるとき、家庭には様々な弊害が現われる。 例えば、食生活への影響はその最たるものだが、ここではその実例をアエラ( 10月11日号 )の記事から紹介したい。

 宮城県塩釜市の坂総合病院に務める角田和彦さんは、多くのアレルギー体質の子供を診察してきた小児科医。 角田さんは子供に付き添う若い母親に、前日の食事を尋ねているが、あまりの内容に絶句してしまうことが多いという。 その食事とは ――、
熱があった幼児
( 朝 )スポーツ飲料
( 昼 )スポーツ飲料と菓子
( 夕 )ヨーグルトと牛乳

腹痛の幼児
( 朝 )パン
( 昼 )インスタントラーメン
( 夕 )調理ずみハンバーグ

下痢の幼児
( 朝 )ミルクがゆ
( 昼 )パンがゆ
( 夕 )乳酸菌飲料
 こんな食事では、子供が病気にならない方がおかしい。 何とかしなければと思った角田さんは、母親のための料理教室を開いた。 ところが、

 「煮干しや鰹節で出し汁を取ってみそ汁をつくったところ、 『とても美味しい』 と大好評だった。 『何の変哲もないみそ汁なのに』 と不審に思って尋ねてみると、参加者の多くが 『自分で出し汁をつくったことがない』 と答えた。 いつもは化学調味料を使っているらしい 」

 角田さんは、 「母親みずからの食生活の幅が狭いので、つくる料理が限られてくるのでしょう。 つくり方が分からないと、すぐ化学調味料や調理済みの食品に頼るんですね」 と話している。

 信じられないような話だが、これは角田さんの周りに限ったことではない。 詳しくはアエラの記事を見てほしいが、ある調査によると、健康のための最低条件とされる 「主食・主菜・副菜」 の三種セットで食事している子供は、朝食で8.7%、夕食でも24%しかいなかった。 さらに、一種しか食べてない子供は、朝食で37.5%、夕食で22.2%もいたというのだ。

 「元気の源」 であるはずの家庭の食卓がこんな状態で、健全で豊かな心をもった子供がどうして育つのか。 帝国ホテルの料理長としてならした村上信夫さんが、 「世界一の料理は何でしょうか」 と問われて、次のように答えていたのを思い出した。

 「それは円満な家庭の料理です。 愛情と工夫が備わった料理を上回るものはないでしょう。 逆に一番まずいのは、乱れている家庭の料理です。 家庭が乱れていれば、家族そろって食卓を囲むこともない、寂しい食卓です」 と。






食の崩壊と家庭③
 



◆ 血液が語る若者のヘンな食事

 「献血ルームに来てくれる若い人たちに血液検査の数値の異常が目立ち、大変驚いている」 ―― こう語るのは、千葉県赤十字センターの検診医・尾関由美氏。 いったい若者の血液にどんな異常が現われ、その背景に何があるのだろうか( 朝日新聞10月11日 )。

 尾崎さんによると、最も多い異常は平均赤血球容積( MCV )の値が低いことだという。 これは貧血につながる潜在的な鉄欠乏を示し、ここ半年で検診したのべ約1300人のうち、正常値( 健康を示す )を逸脱したMCV89未満の人が約6割、85未満が約2割いた。 また異常のあった若い女性の約3割が貧血で、問診すると、そのほとんどに身体の異常が見られたという。

 「月経過多あるいは生理があまり来ないという答えで、子宮内膜症や栄養障害による卵巣機能の異常が疑われる。 MCVの異常以外でも、男性では20歳前後から肥満、高血圧、脂肪肝が見られ、また男女を問わず若い層から高脂血症もかなりある 」

 この異常に危機感を覚えた尾関さんは、自宅近くのコンビニで若者たちの食品の買い方に注目してみたという。

 「するとカップめんと菓子パンだけ、清涼飲料水と菓子パンだけ、おにぎりとアイスクリームといったぐあいに、各種栄養素の必要量やバランスが全く頭にないとみえる場合がほとんどであった …… 献血ルームで 『食事に偏りがないか』 と聞くと、その点を自覚している若者でも安易に栄養補助食品に飛びつく傾向が強く、正しい食事の取り方を助言するのにてこずってしまう 」

 つまり、極端な偏食にみられる 「食の崩壊」 が、血液の異常や病気を引き起しているというのだ。 尾崎さんは次のように警鐘を鳴らしている。

 「私が心配するのは、一つには若者たちに身体の栄養のみならず、本来食卓で家族とのコミュニケーションから得られるべき心の栄養が足りていないこと、そしてもう一つは彼らが中高年に達したときには生活習慣病の罹患率が今の中高年よりずっと高まるだろうということだ …… ( 親が家庭で )食事をつくり、それを家族がそろって食べるという習慣を取り戻させてほしい 」


◆ 「食の崩壊」 の背景にあるもの

 結局、これだけ食生活が乱れている背景には、家庭の役割が弱体化し、親が子にまともな食事を与えていないという現実がある。 その実例が、週刊スパの特集に載っているので紹介したい( 9月15日号 )。

 「夫に出すものは、冷凍フライとか、味付け済みの肉とか、あとは揚げるだけ、焼くだけの蕫スピードおかず﨟。 子供たちだけだと卵かけご飯に、味噌汁もつい、インスタントになりますね 」

 こう語るのは、4才と1才の子供がいる27才の主婦。 子供に 「卵かけご飯」 しか与えないのは、料理が苦痛で味噌汁のダシも取れないからだという。 「OLのときは親に作ってもらったり、外食がほとんどなんだから、結婚して初めて料理を作るようになるわけで ……」。

 また、6才の子供がいる29才の主婦は、コンビニ弁当やフライドチキンは当たり前、 「マヨネーズご飯」 が家庭料理の定番だという。 とんでもない 「家庭料理」 だが、 「だって、いいじゃないですか。 子供が喜んでいるんだから。 それが一番だと思うんです …… 子供は学校の給食で栄養がとれてるから大丈夫ですよ。 それに食後には、カルシウム入りのお菓子を与えているし。 たぶん怒られるから、主人には内緒ですけど」 というから始末に負えない。

 「おふくろの味」 とか 「一家団欒」 という言葉とは縁遠い 「食卓の崩壊」 が、日本の家庭で確実に進行している。


◆ 人間関係の基本となる 「家庭」

 こんなお寒い状況を敏感に察知してか、去る11月24日、最近の子供の心身の異変をテーマに 「医療最前線」 というシンポジウムが開催された。 その中で、家庭における食事が子供のしつけにとっていかに大切かということを小児科の専門医たちが指摘している( 読売新聞12月19日 )。
大谷最近は朝食抜きの子供が非常に増えているなど、生活習慣の変化が指摘されているが、どんなアドバイスができるだろうか。
甲賀子供の生活リズムを整えなさいと、常に語りかけている。 食事はただエネルギーを摂取するだけではない。 家庭の中でのしつけの場でもあり、家族としてのコミュニケーションの場でもあると思う。 人間関係が下手な子供が増えているが、家庭は人間関係を学ぶ基本。 『食』 という字は、分解すると、良という字の上に人が乗っかっている。 人を良くするのは食事で、非常に大事なものだと思う。
細谷食事の時に、大人が 『おいしい』 とか 『楽しい』 とか思って食べることが、実は大事と思う。 子供がこうした親といっしょに食事ができれば、子供たちは食に対してそんなに問題を起こさないような気がしている。






食の崩壊と家庭④
 


 「いま少年鑑別所にいる神戸の連続児童殺傷事件を起こしたA少年は、清涼飲料水やスナック類が好きみたいで、よく差し入れしてもらってるんです。 …… 彼の食生活は彼の犯罪と何か関係があると思うのですが 」

 これは 「料理の鉄人」 の解説でもおなじみの服部幸應さんが、警察での講演後、鑑識官から受けた質問だ。 記者はかねて、服部さんの 「キレる子どもは食事に原因がある」 という持論に注目していたが、最近 『論座』 の連載で端的にそれを語っていたので紹介したい( 6月号 )。


◆ キレないほうがおかしい子供の食生活

 服部さんはまず神戸の事件以来、世間で展開されてきた、受験競走のプレッシャー、少子化でコミュニケーションが苦手になりいつもイライラしている ―― こういった 「少年少女がキレる原因」 論議に対して、 「1日3度、きちんとした食事をしていれば、この程度の心の問題ならたいていの子どもが乗り越えられるはずなのにそれができていないのではないか」 と疑問を投げかける。

 「たとえば、小学5、6年生は夏休み中、1日平均で清涼飲料水250ミリリットル缶4.7本も飲んでいた。 そのほかアイスクリームを平均2個、板チョコ1枚、スナック菓子にケーキ2.2個も食べ、これらに含まれる砂糖の摂取量は1日250グラム以上になった。 コーヒーショップに置いてあるスティック状の砂糖に換算すると、じつに80本分にもなる。 1日30から40グラムが適量なのに、これでは糖分の摂り過ぎである。
 その半面、ビタミンB群、亜鉛とカルシウムは極端に不足していた。 スナック類とか加工食品ばかり食べているせいで添加物のリン酸塩を過剰摂取していて、カルシウムの吸収を阻害しているからだ。
 本来、健康な人なら血液中のカルシウムとリンの割合は1対2ぐらいだが、キレやすい子を調べてみると、カルシウム 1に対してリン40という異常なバランスを示したという報告もある。 …… こんな食生活、栄養状態では、子どもはキレないほうがおかしい。 親がきちんと指導し、しつけをしなければならないのに、子どもとの接点が少なくなっている …… そんな 『孤食』 の子どもはいつどこでキレても不思議ではない 」


◆ 家族で食事をする重要性

 こう指摘した上で、服部さんは家族で食事をすることの重要性を次のように力説している。

 「たとえば子どもが父親の飲んでいるビールの味を知りたくなって一口せがみ、こんな苦い飲み物がよく飲めるなあと、父親を少し偉く感じるときだってある。 飯粒を残すと、母親から 『ひと粒だって残しちゃダメよ、お百姓さんが一生懸命作ってくれたんだから』 云々と、コメのうんちくまで聞かされたりする。
 子どもは、そういうふうに食べ、空腹を満たしていくうちに穏やかな気分になり、同時に大人の感覚とか、農民が田んぼで働く姿とか、見えない何か、別のだれかへの想像力も育んでいく。 自分の体にだけではなく、頭と心にも栄養をつけていく。
 『孤食』 の食卓では、子どもはこんな経験はできない。 たとえ食卓はあっても母親が加工食品をチンするだけのおざなりな料理しかださないなら、食べ物がどこから来てどのように作られるのか、子どもの想像力は食品工場に飛ぶことはあっても、田んぼや畑や大自然へ飛びはしないだろう。 それは子どもにとって、ちゃんと食べていないのと同じことなのだ。
 核家族化が進み、家庭でさまざまな伝承が途切れつつある今、食卓も失われ、親は子どもに身をもって食というものを教えることを放棄している。 私にはそれが残念で、はがゆくて、気がかりでならない」






食の崩壊と家庭⑤
 


 小児科医で、神戸大学教授の根岸宏邦さんが最近出版した 『子どもの食事』 ( 中公新書 )という本を読んだ。 「家族の絆」 としての食事や食文化の大切さに光をあてたユニークな本で、ぜひ一読をお勧めしたい好著でもある。


◆ 食生活の劇的な変化

 ここで根岸さんは、この40年間に日本人の食生活が決定的に変化したということを述べている。 例えば、パン食が増え米食が減ったという変化のほかに、家庭の食料支出額がどう推移したかということを、1963年を基準に、85年、94年との比較で明らかにしている。

 まず、過剰な摂取が子どもの病気やキレる原因になっているという 「ジュース類」 への支出は、85年が63年の7倍弱、94年が8倍超となっている。 またジュースと同類の 「菓子類」 への支出は、85年が63年の4倍強、94年が5倍強となっている。

 一方、料理の必要のない 「レトルト食品」 への支出は、85年が63年のほぼ10倍、94年は15倍近くにものぼる。 また、 「外食」 への支出は、85年が63年の10倍超、94年は13倍超と増大の一途を辿っている。

 こうした数字は、料理に手を抜く母親が増えていることや生活習慣病に罹る子どもが増えている最近の傾向を裏付けている。


◆ 食事が問う 「家族」

 しかし、根岸さんがこの本で指摘しているのは、そうした栄養学的な問題に留まらない。 もっと本質的な、食事が人間にとって本来どのような意味をもつのかということを問うているのだ。 例えば、それはこんな例で説明される。

 「母子の相互関係や心理的な面でも、母乳哺育はきわめてよい影響を与えると考えられています。 しかし、これは母乳の乳汁そのものがよい影響を与えるのではなくて、お母さんが赤ちゃんをだっこし、その目をみつめながらときには歌を歌ったり、あやしながら自分のおっぱいを飲ませるという、そのような哺乳行動による母と子の結び付きがよい影響を与えるということなのです 」

 つまり、食事は単に空腹を満たす手段ではないというわけだ。 根岸さんは更に突込んでこう問いかける。

 「元・八王子少年鑑別所主席専門官の吉岡忍氏は、 『家族と一緒の楽しい食事風景を思い出せない受刑者も多く、食卓には家庭の問題が直接反映している』 と述べています。 心身の疲れを癒す家族の団欒や食事の時間をもう一度見つめ直す必要があると思います。 戦後我が国が急速に発展してきた中で、欠落していたものは家族というものに対する考え方ではなかったかと思われます」

 つまり、食事は家族の在り方に欠かしてはならない、極めて重要なファクターなのだ。

 「1つの家族が1つの食卓を囲み、母親やあるいは父親がそれぞれの食器に食物を取り分けることは、一種の分配行動ではありますが、それは単に食物だけを与えるのではなく、相手の身になって食物の量とか相手の好きな部分を与えるといった、心を分かち合うという面も持っています。 …… ともに食べるということは集団を形成するうえで基本的なことであり、食卓を囲むということはコミュニケーションの手段であり、その集団に対する各個人の帰属意識や連帯感、一体感を形成していくものと考えられます 」


◆ 出張のお父さんには 「陰膳」を

 しかし、 「そうは言っても、仕事が忙しくてとても ……」 という人が最近は多いかもしれない。 そういう人は、次の言葉をよく聞いてほしい。

 「食事における我が国の …… 習慣として 『陰膳』 とか 『お供え』 という習慣があります。 …… 先祖に対するお供え、供養としてその日の食事の一部や、あるいはお盆やお彼岸などに食物を供える …… 出張中の父親やあるいは単身赴任をしている家族のため、あるいは都会に遊学をしている兄や姉のために、食事の一部を椀や皿にとって陰膳として食卓に置くといった風習のある家族もあります。 きわめて少なくなっているとは思いますが、我が国における非常に美しい、心のこもった風習だと思われます。
 昨今のように父親が単身赴任の家庭が増えたり、そうでなくても帰りが遅く夕食を家族と共にできない父親が増えた家庭において、 『これはお父さんの分よ』 と幼児に言って聞かせて一部をとっておくことにより、実際にはそこにはいない家族ではあるけれども、共に食事をするという喜びと意義を子どもたちの心の中に作り出すことができるのではないかと思います。 それは家族の連帯というものを生み出し、子どもたちの心の中に自分たちの背後には常に家族の支えがあるという安心感を生じさせるでしょう 」

 一度、家庭で試してみてはどうだろうか。






食の崩壊と家庭⑥
 


◆ 韓国で人気の 「納豆」

 近年、テレビを問わず雑誌を問わずあらゆるメディアで、ゴマ、納豆といった食品が体にいいと注目を浴びている。 これらは昔からそう言われてきたのだけれども、今は科学的な裏付けを以てその効能が紹介されるので余計に有り難がられているようだ。

 例えば、ゴマには 「ゴマグナリン」 という抗酸化物質が含まれ、成人病やがんの予防をはじめ、肝臓や女性のお肌にもいいということで若い女性から大酒飲みのオジサンまでがゴマに注目するようになった。 納豆も同様だ。 ところが、最近は 「反日」 の韓国でも日本の納豆が人気を呼んでいるという( 東亜日報12月1日 )。

 「韓国で豆を醗酵させ、ねぎ、キムチ、豚肉などを入れて沸かしたチョングックチャン( 清麹醤、大豆から作った味噌の一種 )と比較される食べ物で、日本には納豆がある。 納豆は、ゆでた豆に納豆菌( バシルロス菌 )を接種して42~45度で24時間、醗酵させた後、10度で約20時間、熟成させて作ったもの …… 最近、各種の成人病予防に効果があるという研究結果が出て、韓国でも少しずつ人気を呼んでいる。
 韓国のわらで納豆菌を抽出した技術を利用して、納豆を作るのに成功したソウル納豆研究室の李ヨンス博士は、 『納豆には強い血戦( 註・血栓 )溶解酵素〈 納豆キナーゼ 〉が含まれていて、中風のような脳血管疾患を予防し、納豆菌が作ったビタミンKは骨を丈夫にしてくれる』 と語った 」

 取るに足らない話ではあるが、韓国の大手新聞で取り上げられたのは何年か前に日本文化の輸入禁止という建前が解かれたせいかもしれない。 こんなところにも日韓関係の特殊性が窺える。


◆ 「免罪フード」?

 一方、韓国とは逆に日本ではこの健康志向の陰で、奇妙な現象が起こっている。 食と家族の関係などについて長年、家庭の食卓を調査・研究している岩村暢子氏によると、納豆やゴマさえ食べていれば、日常的な食事はおろそかにしてもいいという認識が、特に1960年以降生まれの主婦の間に見られるというのだ( 中央公論1月号 )。

 「例えば、 『健康のために野菜ジュースを出すことにしている』 という主婦はたくさんいるが、多くは、その代わり野菜料理を作らずに済ませることを意味している。 …… 『健康のために納豆を食べさせることにしている』 という主婦もよくいるが、夕食など副食が貧弱なときに、ことさら納豆の健康機能が強調され、野菜料理の代わりともされる。 …… 私はこれらを 『免罪フード』 と呼んでいるが、免罪フードのよく出る食卓や、手のかからない栄養・健康志向食品の多い食卓ほど、結果として不健康で粗末な内容になってしまう、ということになる 」


◆「無理しない、頑張らない」が家庭を弱体化させた

 60年生まれ以降の世代になぜこのような傾向があるのか。 岩村さんはアンケート調査など長年の研究の中で、この世代にはある価値観があることに気付いたという。

 「それは 『無理しない、頑張らない自然体』 『明るく、楽しく』 そして 『みんな仲良く』 の3つである。
 例えば、朝起きなかったり、食事を作らない主婦も 『無理しない、頑張らない自然体』 である。 …… 食べたがらない子供に朝、無理に食べさせようとしたり、好き嫌いを矯正しようとすることも 『子供に無理強いしたり我慢させるのは良くないことだから、しない』。 そこで、朝食に子供が 『食べやすい』 ( 喜んで口に運ぶ )菓子的なものが選ばれるだけでなく、子供のオーダーやリクエストに応えて、食べたがるものばかり食べさせようとしている」 「将来、誰とでも楽しく食事できるようになるための 『しつけ』 は、今日の食卓が 『暗くなる』 からされない。 衝突したり、問題を露見させたりするのはいけないから、先回りして子供の要求に応える、偏った食事にもなる。 家族の健康を語りながら、 『無理しない』 ために自分は朝起きずに、朝食は子供に任せっきりというケースも増えている 」

 そういう家庭は、表面的にはいつも無理せず、明るく楽しくしているように見えているけれども、と岩村さんは言葉を濁しながらこう結んでいる。

 「しかし実は、本気でかかわりあうこと、題点をごまかさずに見つめること、お互いが何かのために耐えたり我慢したりすることといった、家庭でしかできない基本的なしつけや教育などを社会的に担っていたはずの 『家庭の能力』 は、相対的に弱体化しているのである」 と。






食の崩壊と家庭⑦
 


 長年家庭の食卓に関して調査・研究を重ねてきた岩村暢子さんが、文藝春秋10月号に発表した 「壊れる食卓」 は、今日我が国で起こっている 「食の崩壊」 の現状を的確に描き出したレポートだ。

 「カレーライスと鰺のたたき」 「スパゲティと刺身」、 「宅配寿司とキムチ豆腐チゲ」 …… 聞くだけで気持ち悪くなるような食事。 今時の中年が挙げる 「懐かしい味」 とは、マクドナルドにケンタッキーにチキンラーメンだという。

 こうした食の惨状については度々取り上げてきたが、岩村さんはこう言う。

 「これは特殊な家庭の出来事ではない。 60年生まれ以降の世代ならば、専業主婦であるか共働きか、学歴、職業、年収いかんに拘わらず、共通して起きている現象である 」

 しかも、食事の作り手である主婦らは、野菜の皮を剥くのは面倒だから冷凍食品を使い、生魚や挽肉は気持ち悪いと使わず、洗い物が増えるのは大変だからとごはんもおかずも全部大皿に盛り、スーパーで買ってきたトレーやパックもそのまま出すというのだ。

 なぜこんなトンデモナイことをするのか。 それは家族の健康や味覚よりも作り手の都合を最優先にするからだ。 これを岩村さんは 「マイモラル」 とか 「個の尊重」 と呼ぶ。

 《 「個の尊重」 も 「マイモラル」 も、ある意味ではストレスを避けるために生まれている。 子どもに好き嫌いを我慢させることはストレス。 計画的に3食作ることもストレス。 ファーストフードや、添加物入りのスナック菓子を我慢することも 「ストレスになるから、少しくらい健康に悪くても食べたほうがいい」 という。
 仕事でも子育てでも、健康のためのダイエットでも、なにか目標を達成するためには必要な我慢もストレスもある。 しかし、60年生まれ以降の世代では、目的は関係なく 「ストレス = 悪」 らしい。 …… 「離乳食と大人の食事」 「子どもの躾と家族の団欒」 など、2つのことを同時にこなすのもストレスだ。 すると、どちらか一方を大胆に切り捨てる。
 「主人は子どもたち( 9歳、7歳 )に箸の持ち方を躾ようとするけれど、せっかく楽しく食べているのにやめてほしい。 子どもには 『パパが帰る前に早く食べなさい』 と言ってしまう」 ( 32歳 ) 》

 教育現場では、このストレスが言われ出してから 「個の尊重」 「ゆとり」 が強調され、結局、 「学級崩壊」 に至った。 何か共通するものがある。






食の崩壊と家庭⑧
 


◆ コンビニおにぎりでお正月?

 食と家族の関係を研究している岩村暢子さんが、30代、40代の主婦がいる家庭110世帯を対象に、クリスマスと正月をどのように迎えているかという調査結果を発表した。 それによると、彼女らは過剰なまでにクリスマスに熱中する一方、お正月は全く厄介な行事として蔑ろにしているという( 文藝春秋1月号 )。

 まず、どれほどクリスマスに力を入れているかというと、彼女らは11月に入るや否やクリスマスツリーやキャンドルは勿論、レストランやホテルにある電飾まで家の内外に飾り付ける。 しかも12月に入ると、家族のスリッパやパジャマの類まで赤・緑・白のクリスマスカラーに変え、クリスマスソングをかけて次第にムードを高めてゆくという。

 「ツリーを含めて1世帯あたり平均5~6個のクリスマス飾りがあった。 けして広くない家に18種類の置物や壁飾りを飾っていた家もある 」

 一方、正月の方は、注連飾り、鏡餅など含め飾り物は平均3個でクリスマスの約半分。 「お正月らしいものなど何も飾らない」 という家庭は1割もあり、お節料理も次のような無惨なものになっている。

 「元旦の朝は、93パーセントの家庭でお雑煮を食べている。 しかし、おせち料理はその姿を大幅に変えた。 まず、塗りの三段重におせちを詰めていた家庭はごく少数派。 ほとんどの家では、大皿盛りにして出している。 それも 『かまぼこ、黒豆、きんとん、伊達巻き、煮しめ、昆布巻き』 くらいであり、買ってきて切るだけ、盛り付けるだけで済むものに限定されている。
 おせち料理には、 『黒豆は家族がまめに暮らせるように、数の子は子孫が繁栄するように、よろこぶ事があるよう昆布巻きを』 などの謂れがあると知っている主婦は少ない。 30代に限定していえば、皆無に近い。 「なに変な駄洒落を言ってるんですか」 とけげんな顔をされるだけである。 謂れを知らないため、似たような料理であれば構わないと考えて、 『腰が曲がるまで長生きできるように』 という海老が、同じ甲殻類だからと蟹に置き換えられる。 それでは脚が曲がってしまう 」

 ちなみに、お節料理はなく雑煮だけ出すという家庭、あるいは雑煮を出すのはまだマシで、パックのままの納豆とごはんだけを出す家庭もある。 それどころか、 「子供はお雑煮が好きではないので、コンビニおにぎりを用意した」 ( 44歳 )という家庭まであるというではないか。


◆ お正月の本義

 そもそもお節料理とは、 「年神に餅と共に供え、神と人が共に同じ物を食べるハレの日の食事」 という意味がある。 また雑煮は、年神に供えた食物を下げてごった煮にしたもので、神と人とが 「共に分け合って食べることで霊力を得ることができる」 と昔の人は考えていた。 そうした日本古来の慣習の意義がまったく忘れ去られているのである。 そこで、お正月の本義を今一度確認しておこう。

 「日本のお正月は、新年を祝うとともに新しい年神を迎え祭る行事でもあります。 年神は 『年徳神』 『正月様』 などとも呼ばれます。 …… 年神は、その家の祖先神としても崇められてきました。 大晦日の夜に訪れ、人々に新しい年を取らせ子孫を見守ると考えられてきたのです。 年を取る、ということは単に年齢を重ねるだけではなく、新しい魂を神から与えられ、生命を蘇らせる意味をもっているのです」 ( 以上、引用は白泉社刊 『しばわんこの和のこころ』 )。


◆ 「してあげる人」 はいない ―― 愛情のなくなった家庭

 お正月は単に新年を迎えるというだけでなく、このような深い意味をもつ。 が、それを知らない今の主婦らは、平然と言う。

 「クリスマスは自分ペースだけど、お正月は大掃除とかしなければならない。 私はいつ休めるのかと思う」 ( 45歳 )。 「私だけ準備で忙しい思いをするくらいなら、お正月はしたくない。 ホテルへ行ったり実家にお世話になって自分もみんなと楽しみたい」 ( 32歳 )。

 では、クリスマスに熱中するのはキリスト教を信仰しているからかというと、無論そうではなく、 「ワインを抜いて家族で見つめあって乾杯すると、ムード満点でワクワクする」 ( 45歳 ) …… などという仕様もない理由からだ。 しかし、こんなただの自己満足によって、家庭が本来持つ機能は弱体化する一方である。 岩村さんはこう分析している。

 「現代家族では、家庭の行事でもみんな同じように 『楽しみたい人』 ばかりで、誰かのために陰で 『してあげる人』 はいなくなっているので、行事は全て外注化される。 手作りの料理より、レストランやテイクアウトショップで済ませるほうが 『みんな平等』 家族の幸せなのだ」 と。






食の崩壊と家庭⑨
 


 「もうマヨなしでは生きられない」 という若き女性や、 「一味」 に頼る若者が増えている。

 マヨはマヨネーズ、一味は一味唐辛子。 おふくろの味ならぬファーストフードとレトルトの味で育った世代が、さらに濃厚な味と刺激を求めた結果、こうした調味料を大量に使う、まさに 「マヨねえの一味」 を構成しつつあるのである。

 しかも、彼らの所業は半端ではない。 ウナギの蒲焼きにマヨネーズ、高野豆腐の煮物にマヨネーズ、赤飯にマヨネーズ、鮭茶漬けにマヨネーズ。 若者の中には、朝はマヨネーズをぬりたくったマヨトーストを食べて出勤、夕食にはマヨネーズ山盛りご飯に、マヨネーズを絞った味噌汁!? をすするという輩も多いらしい。

 東京・立川にはそんな 「マヨラー」 たちを相手に 「マヨネーズキッチン」 なる店も数年前にオープン。 石焼きブタキムマヨ丼等、料理一品毎にマヨネーズ使用度 「マヨ度」 が示されるほか、マヨネーズカクテルや、マヨネーズのボトルキープなんてのもある。

 一方、一味派もすごい。 以前いた職場でも、一緒に入ったうどん屋で汁の元の色がわからないくらい一味で真っ赤に染め上げ、汗一つかかずに涼しい顔で食べている20代の男を見て、 「こいつは日本人、いや人類か?」 と驚いたことがある。 が、その後、遠からずして彼だけが特殊なのではないことを知った。

 こうした傾向は、一言で言えば 「味覚崩壊」 ということになるのだが、 「味覚」 だけでなく、「食」 そのものの崩壊が、今や日本の随所で進んでいる。

 産経新聞は、この1月に 「亡食の時代」 というタイトルで特集記事を連載したが、それによれば、朝食を食べない、もしくは、ガムやチョコレートですませてしまう子供が増えているという。 そのため、東京・八王子市の私立進学校や、高知県の公立中学校では、見かねて、希望する生徒にだけでも朝食の給食を出すようになったという。

 一方で、子供の食べ残しも深刻の度を増している。 埼玉県久喜市の給食センターには平日の午後1時半すぎになると、各小中学校の給食で残った残飯が集められるが、一口かじっただけの大量の食パン、子供が苦手とする煮物など、その量は1人平均100グラム。 出された食事の1割以上が食べられずに廃棄されている計算になる。

 献立作りの担当女性は、 「全部食べさせるのは簡単。 カレーやハンバーグなど、子供の好きなものばかり出せばいい。 だけど、それでは、子供の好き嫌いを助長してしまう」 と語っている。 だからこそ、和食には煮干しや昆布で取っただしを使い、手の込んだ料理も出しているのだが、親からは 「給食でいいものを食べているから、家では手が抜けていい」 と、 「喜びの声」 が届いているとも記事にはあった。

 朝食給食もそうだが、 「本来あるべき食事」 を学校が追求するほど、家庭は依存を強めるという逆効果が生まれてしまっているようだ。 娘に料理を手伝わせなくなった親たちが 「飽食の第一世代」、その結果生まれた包丁一つ使えない若い母親達が 「崩食の第二世代」 とするなら、今の第三世代はまさに 「亡食の世代」 と言えるだろう。

 強烈な刺激や 「自分だけの味」 を求めてマヨネーズのボトルキープやマイ一味など、遊び感覚で食をとらえる若者がいる一方で、いい年して、いつも昼食は一人部屋の中でカロリーメイトをかじってすますという男もいる。 後輩でもある彼に、 「そんなの食べて美味しいの?」 と尋ねてみた。 にっこり笑って手渡してくれた一切れを口にする。 軽い、薄い、味気ない食感。 そこに今の日本の食風景が象徴されている気がした。






食の崩壊と家庭⑩
 


 牛肉輸入再開が大筋で決まったようだが、食肉以前の 「食育」 で、まだこの国は揺れている。

 日本人、特に児童が朝食を抜く傾向にあることは、もう随分前から言われていることではあるが、最近では、その朝食を補う食べ物を出す学校が出てきている。

 東京足立区の小学校では、昨年まで保健室に小さなスティックシュガーを常備し、何人かの欠( 朝 )食児童が、授業中にやってきては水と一緒に砂糖を飲み込んでいたというし、岡山県美咲町の小中学校8校では、昼の給食とは別に乳製品の提供を始め、登校時や1時間目の後、ヨーグルトやチーズなど10種類が自由に飲食できるようになっているという( 読売新聞6月20日 )。

 つまり、家で朝食を食べてこない子供、或いは、食べてもパンやおにぎりだけ、というような子供のために、学校の方が親に代わって面倒を見ているわけである。
 当然、これについては保護者の方からも 「朝食は親の責任だ」 「なぜそこまで学校がするのか」 という反発があるわけだが、実はそれ以上に、 「親の責任はどうなってるのか」 と問いたくなる、もっとひどい事例がある。 それが今や全国的な規模で問題となっている 給食費滞納問題 である。

 たとえば、5月末には、北海道根室市で市の学校給食協会が、支払い能力があるのに給食費を長期滞納している世帯に対し、支払いを求める民事訴訟を全国で初めて起こす方針を固めたという報道があった。 実際、各地の小中学校では給食費の滞納が増加傾向を強めており、中には、給食費支払いの民事の時効が2年と知った上で納付を延ばす親もいるらしい。 つまり確信犯である。

 さらに驚くべきことに、5月15日の中国新聞の記事によれば、そういう滞納家庭への学校側の督促に対し、 「義務教育なので、支払う必要はない」 「ローンがあり、給食費にまで回らない」 と広言する保護者が増えているという。 中には、給食費を滞納する一方で、 「愛犬の美容代を惜しまず、新車を購入していた家庭もあった」 「差し押さえが職場に知れると分かると、すぐ支払った」 という輩もいたというから驚く。

 同じく中国新聞の報道によれば、呉市のある学校では給食費滞納の分を食材の節約などで対応していたというが、不払いの家庭のせいで、きちっと払っている側の給食のメニューが貧相になってはたまったものではない。

 先日見たテレビのインタビューでも、こうしたバカ親たちの答えていたのは、 「義務教育なんだから、タダで食わせろ」 「払わなくたって、学校辞めさせられることはない」 「携帯代は出せても、給食費は払う気無い」 「NHKの受信料と同じ」 …… まったく、はぁ? としか言いようがない。 一体、この バカ親たち の金銭感覚はどうなっているのか。 こんな親たちに育てられて子供はどう育つのか。

 この度のワールドカップでも、クロアチア戦では定価の30倍もの金を出してチケットを買う日本人がいて、 「豊かな国の日本が相手でよかった」 と売ったクロアチア人に変な喜ばれ方をしたらしい。 今回の日本チームは別名サムライジャパンだという。 が、サムライの心とはまさに 「武士は食わねど高楊枝」。 例えボロを着てでも、子供の事で人様に世話になるようなことはしないという誇りではないか。

 サッカーで勝った、負けたと大騒ぎし、弱いくせに応援だけ強国の真似をするのもいいだろう。 しかし、何より基本的なところで日本は世界に対して、これがサムライの国だと言えるのか。 恥ずかしい国民に成り下がってはいないか。 見直さなければならないのはジーコジャパンの戦い方ばかりではないはずだ。








国産を積極的に食べて農業を応援しよう

 去る11月15日、内閣府が発表した 「食料・農業・農村の役割に関する世論調査」 で9割以上の人が将来の食料輸入に不安を持ち、食料自給率を高めるべきだと考えていることが分かった。 特に、食料品を買う際に、国産品と輸入品のどちらを買うかという質問では、89.0%が、 「国産品」 と答えた( 「国産品」 66.4% + 「どちらかというと国産品」 22.6% )。

 中国製毒ギョーザ事件や汚染米事件など 「食の安全」 にまつわる事件が頻発したり、世界的な食糧危機の中でパンやパスタなど食料品が値上がりして家計を直撃している。 そうした中で、消費者の意識が 「国産」 へと向かったのは、好ましい傾向である。 が、しかし、毎日お店で買い物をしている感覚からすると、消費者の行動が本当にこの調査結果どおりかどうか、 「ちょっと割り引いて考えないといけないのでは?」 と思う。 実際にお店で買うときに国産を選択する人がここまで増えているならばそれに越したことはないけれども、これはおそらく、 「国産が望ましい」 と考えている人が89%にまで増えた、と考えた方がいいのではないか。

 というのも、たしかに中国産食品は消費者が敬遠するようになったため余り見なくなったとはいうものの、その一方、中国産以外の輸入食材は、以前と変わらず並んでいるからだ。 近所のスーパーに行ってみると、1コ98円のブロッコリーはアメリカ産、1コ88円のグレープフルーツは南アフリカ産、1切88円のサケはチリ産、10尾98円のバナメイ海老はタイ産、100グラム88円の豚肉肩ロースはカナダ産、100グラム88円の牛肉サイコロステーキ用はオーストラリア産 …… という具合である。 これら輸入食材は、 「生活・食卓応援セール」 とか 「円高還元セール」 と銘打って売られている。 もちろんニーズがあるからだ。

 こういう現実を目の当たりにすると、国民は食料輸入にはリスクがつきまとうということを理解しつつあるとはいえ、 「食料輸入に依存するのはやめよう」 とか 「国産農産物を積極的に食べよう」 という意識を持つところまでには、まだまだ至っていないのではないか、という感想を持つ。


◆ 「FOOD ACTION NIPPON」

 さて、そんな中、政府が音頭をとって、食料自給率向上に向けた国民運動 「FOOD ACTION NIPPON」 がスタートした( 農林水産省委託事業。 10月23日、同推進本部発足 )。

 この運動は、世界の食糧事情や日本人の食生活の変化という状況の中で、食との関わり方をもう一度見直して貰いたいという願いから始められたもの。 国民が国産農産物を積極的に食べることによって、毎年自給率を1%上げ、2015年には食料自給率を現在の40%から45%までアップさせることを目指している。 また、 「食料自給率を高めていくためには、国はもちろん、みんなが力を合わせることが必要です。 できることから始めよう!」 として、以下の5つのことを訴えている。
1、 「いまが旬」 の食べものを選びましょう
2、 地元でとれる食材を日々の食事に活かしましょう
3、 ごはんを中心に肉や油は控えめに、野菜をたっぷり使った食事を心がけましょう
4、 食べ残しを減らしましょう
5、 自給率向上を図るさまざまな取組みを知り、試し、応援しましょう
 この趣旨は、2005年に制定・施行された 「食育基本法」 などでもすでに打ち出されており、早い話、この国民運動は大人を対象とした食育プログラムがいよいよ具体的に動き出したものとも言えよう。

 生命を維持し、元気の源である 「食べること」 まで政府が主導して一から教えないといけないというのは何ともおかしな話だが、 「食べること」 を軽視し疎かにしたため、心身も家庭も社会もおかしくなっている、というのがわが国の現実である。 そうである以上、国民はこの内容を 「自分のこと」 として、真摯に受け止める必要がある。


◆ 地元のものを買い、自分で作って食べる

 そこで、この5つの項目が出てきた背景やそれが大切な所以を、当センターなりの視点で示してみたい。

 まず1つ目の 「いまが旬の食べものを選びましょう」。

 先月半ば、中国製冷凍インゲンから、基準値の3万4500倍に当たる有機リン系殺殺虫剤ジクロルボスが検出された事件が発覚したが、この冷凍インゲン事件は図らずも 「旬の感覚」 を忘れてしまった日本人への警告ではないかと受け止めた。 というのも、インゲンは本来は夏の野菜。 にもかかわらず、冷凍加工食品として一年中手に入るようになった今、そのことを知っている人はほとんどいなくなったからだ。

 インゲンどころか、トマトやきゅうりでさえそうだ。 友人に 「トマトって、いつ獲れる野菜か知ってるか?」 と聞くと、 「え? 冬だったかな? 夏だったかな?」 という答え。 正解は 「トマトは夏の野菜」 だが、このように 「旬の感覚」 が麻痺した消費者のニーズにより、お店には一年中トマトやきゅうりが並ぶという本来は不自然な状態が当たり前になっている。

 季節外れの冷凍インゲンやトマト、きゅうりを食べなくとも、今は 「実りの秋」 で美味しい新米もあれば、しめじ、しいたけ、まいたけ、栗、里芋、山芋、さつまいも、じゃがいも、蓮根、ごぼう、春菊、秋刀魚、鯖、戻り鰹、いか、伊勢海老、毛がに、帆立貝 …… 等々、わが国には実に豊かな海の幸、山の幸がある。 また日本人は昔から秋には秋のもの、春には春のものをと旬の味を楽しみにし、堪能してきた。 この 「味覚の秋」 に、冷凍食品を食べるなんて無粋の極み。 事件を契機として、旬の国産野菜や魚介類を買って食べて、 「食欲の秋」 を満喫してほしい。

 2つ目の 「地元でとれる食材を日々の食事に活かしましょう」 は、いわゆる地産地消のこと。 つまり、遠く離れた外国や遠い県から来るものではなく、近くで収穫されたものを買って食べようということだ。

 収穫された農産物を外国や遠い県から運ぶには、船や長距離トラックなどを使う。 そうすればCO2の排出量が増えるし、農畜産物を生産するために使われた他国の大量の水を間接的に奪うことになる。 また輸入食材の場合は、防腐剤、酸化防止剤、殺菌剤、防かび剤などの薬品が使われているが、なかにはポストハーベストなど人体への影響が懸念されている薬品もある。 そうした問題から離れるためにも、昔のように地元で獲れたものを買って食べるというシンプルな在り方が望ましいということだ。

 さらに一番大事なのは、地産地消は国内農業を支えることになるということ。 外国のものを買えば、それだけ日本の農家が疲弊する。 農家が疲弊すれば、日本の山村は崩壊し、美しい景観も生態系も、つまりは国土が崩壊する。 そんな荒れた環境の中でまともな人間が育つはずがない。 逆に、地域で獲れたものを買って農家を応援すれば、農業の再生へとつながり、安全・安心な食材が手に入り、国土が保全されるという良い循環が生まれる。

 記者は 「食料自給率アップ = 地元のものを買い、自分で作って食べること」 と理解しているが、地産地消を実践してほしい。


◆ 感謝の念なくして自給率は高まらない

 3つ目の 「ごはんを中心に肉や油は控えめに、野菜をたっぷり使った食事を心がけましょう」 とは、 「日本型食生活」 を実践するということ。

 食生活が洋風化し、パン食・肉食が増え、ハンバーグ、ラーメン、スパゲティなど油を使う食事が増えた結果、糖尿病やアトピー性皮膚炎など様々な現代病にかかる人が増え、国民医療費はいまや33兆円を超えている。 かつて米国でも同様のことが起こり国家的な問題となったが、問題を解決する上で理想的な食事とされたのが、米を中心として野菜、魚など多彩な副食から構成され栄養バランスに優れた 「日本型食生活」 だった。 これを踏まえて当センターは 「毎日ごはんをもう1杯」 「1日1回週6日の和食」 を推奨しているが、健康のためにも自給率向上のためにも、 「日本型食生活」 を取り戻すことは何よりも肝要だ。

 4つ目の 「食べ残しを減らしましょう」 は深刻に受け止めて貰いたい問題だ。

 農林水産省によると、現在わが国は約1900万トンの食品廃棄物を発生させている。 具体的にはスーパーやコンビニなどで売っている賞味期限切れの食べ物、家庭・学校給食・観光地の残飯、過剰農産物などだが、1900万トンという量は世界の食料援助量( 約600万トン )の約3倍に相当する。

 一方、世界では途上国を中心に約8億5千万人( うち3億5千万人が子供 )が栄養不足の状態にあり、毎日約2万4千人が餓死している。 その中でわが国は食料の6割を海外から輸入し、それをムダに捨てている。 こんな罰当たりなことがあろうか。

 子供のころ、親から 「食べ物を粗末にすると目が潰れる」 とか 「罰が当たる」 と教えられたものだが、今はそうしたことが教えられないのだろうか。 少なくとも、これだけ食べ物を粗末にしながら 「食の安全」 を求めて大騒ぎするのは、正気の沙汰とは思えない。 われわれ人間は動植物など生きているものを食べて生命をつないでいる。 そうした生命への畏敬・感謝の念を忘れてはならない。

 最後の 「自給率向上を図るさまざまな取組みを知り、試し、応援しましょう」 とは、米粉を使ったパン・パスタなどの新メニュー、国産飼料米で育てた牛や豚、地産地消ブランド、直接契約による生産など、自給率向上に向けた動きを知って応援することだが、まずは積極的に関心を寄せてほしい。

 兎にも角にも、こうした運動が起こるのも、日本の農業が崖っぷちにあるからだと言える。 農業をたてなおすには、国民の応援が不可欠だ。 応援とは、国産を望むだけでなく、実際に買って食べることである。 いかに多くの人々が国産を望むようになったとしても、実際に買って食べる人が増えなければ、自給率は上がらないからだ。 いまは、 「なんとなく国産がいい」 という段階から、 「国産を積極的に買って食べる」 という段階にまで進むことが大事だろう。 日本で穫れた米や野菜をいっぱい食べて、農業を応援しよう。








 今年は、毒ギョーザ、菓子・乳製品・ピザ等へのメラミン混入、冷凍インゲンへの殺虫剤混入 …… 等々、中国製食品の毒物事件のほか、政府が非食用として売却した汚染米事件など、輸入食品の危険性を世に知らしめる事件が頻発した。 それにより国民の国産志向が強まったが、わが国の食料自給率は先進国の中でも異常に低いわずか40%、のこり60%を海外に依存している。 輸入食品に囲まれて暮らしている以上、今年起こったこれら事件は 「氷山の一角」 に過ぎないと言うべきで、まだまだ安心などできない。

 実際、われわれがふだん口にしている食材は、青酸カリのように口に入れてすぐ死に至るような毒物ではないにしても、ちょっと調べてみれば、 「こんなものを平気で食べていたのか」 と、青ざめることがある。 例えば、立ち食いそば屋の山菜そば、駅前の持ち帰り寿司に入ったガリ、牛丼屋の紅ショウガ、カレー屋の福神漬け、コンビニや土産物屋で売っている漬け物 ……。 これらは、どこから、どのようにして作られ、われわれの口に入っているかご存じだろうか? 食料問題に詳しい知人からこんな話を聞いたことがある。

 「紅ショウガとか福神漬けとか、ああいうのは皆、中国から輸入されて、港の埠頭に 『野積み』 にされていたものが出回っている。 雨の日も炎天下の日もずっと野ざらしにされて腐らないのはゴリゴリの塩漬けにされているからで、塩抜きして漂白した後、地方の名産品とかそれらしく仕立てられて店に出てきている。 われわれはそれを知らないで平気で食べているけど、野積みの現場にはカラスでさえ寄りつかないらしい 」

 ショッキングな話で、その時は 「え、本当?」 と思ったものだが、実際に横浜埠頭の野積みの現場を見てきた山田正彦衆議院議員も、こう書いている( 『輸入食品に日本は潰される』 より )。

 「車を降りて、早速手近にあるポリタンクのねじり蓋を開ける。 物はゴボウだ。 中からビニール袋に入った何かの液体に漬け込んだ白い切ったゴボウが現れる。 最近ゴボウサラダが外食でもはやりだしたが、あれの材料か、と思う。 …… 野積みの青いポリタンクは腰ぐらいの高さだが、それが2段3段と重ねてある。 次々開けてみる中味は実にさまざまである。 フキ、細竹、ナメコ、にんにく、シメジ …… どれも中国からである 」

 他にも、山ごぼうの木の箱、きゅうり、セリ、えのき茸、なたまめ、わらび、高菜などがあり、怪しい液体に漬け込んだ状態で、開けるとものすごい悪臭がしたという。

 「…… 梅干し用の梅肉もある。 紀州や小田原のトラックが買いにきているというが、ほんとうだろうか。 わらびは福島や新潟、岐阜などと、それぞれ日本の産地のトラックがくるというのである。 …… もっと奥にあった塩漬けわらびは、もうここに5、6年は置いてあるという。 …… そんなに置いても腐らなくて、一応商品になっているというのは、どういうことなのだろうか。
 ショックだった。 私は汗だくのシャツを抱えて埠頭を去ったが、そのあと半日は、食品の異臭が鼻にまつわりつき、気分が悪かった 」

 一方、ジャーナリストの青沼陽一郎氏は、こうした輸入野菜がどのようにして作られているのか、業界関係者のコメントを紹介している。 以下はその引用( 『食料植民地ニッポン』 より )。

 「主に中国から運ばれてくる漬物用の野菜は、生鮮や冷凍といった類のものでも、加工済みの漬物製品でもありません。 『調製野菜』 として日本に入ってきます。 その実態は中国で材料を添加物と一緒に塩漬けにした 『塩蔵』 野菜です 」

 「『 塩蔵』 の原料を、日本国内でいったん塩を抜く作業 “脱塩” をします。 まあ、もとの素材に戻すわけですね。 それから、最終調製液に漬け込んで、商品化します。市販のタクアンもそうですし、鮨屋のガリだとか牛丼屋の紅ショウガといったものは、ほとんどが外国産のこうした工程で出来上がるものばかりですよ」  「漬物用のキュウリなども塩漬けにして運ばれてくるのはいい。 ところが、こうしたものを埠頭の露天の下に山積みにしたまま、放置しておく。 中にはカビの生えたものまであるが、これをあとで塩抜きする時に、一緒に漂白して、脱色して漬け直すのだから、それでいいんだというわけですよ 」

 









 日本人が食べないサケで中国が儲けている。

 食をめぐる問題で、どうしても紹介しておきたい話がある。 それはサケ( 鮭 )についての話だ。

 現在、サケ・マス類の国内生産高は24万6000トン、輸入高は20万400トンでほぼ拮抗しているが、スーパーで売っている切り身や、コンビニ弁当・おにぎりの食材として使われているサケは、ほとんどがチリ産だ。

 これらは海で泳いでいるのを捕まえたのではなく、生け簀で育てた養殖もの。 せまい生け簀の中で大量のサケがひしめき合っているため、一匹が病気になればたちまち伝染して全滅の恐れがある。 そこで、病気にならないようエサに大量の抗生物質を入れることになる。

 抗生物質は感染症の原因になる細菌を殺す薬で有用なものではあるが、副作用も多く、下痢やアレルギー反応を起こすしやすい。 それが入ったエサを毎日食べて育ったサケをいま日本人の多くが食べているのだ。 長い目で見れば、これは非常に恐いことではないのか。

 健康面の問題だけではない。 小泉武夫東京農業大学教授によると、日本のサケは世界一おいしく安全であるにもかかわらず、日本人が国産のサケをあまり食べなくなったために、根室や釧路などのサケ業者は、今どんどん廃業しているという。 そればかりか、こんなとんでもない事態にもなっている( 『いのちをはぐくむ農と食』 より )。

 「この状況を見て、中国の船がいま根室、釧路あたりへ来て、日本人が食べない世界一安心・安全でおいしいサケを、売れなくて余っているのだから、格安で買っていきます。 そして中国では、それを原料にしておいしいサケ缶をつくり、 『メイド・イン・チャイナの世界一おいしいサケ缶』 だといって、ヨーロッパやアメリカに輸出したりしているということです 」

 いったいぜんたい、こんなバカな話があるか。 小泉教授は続ける。

 「安心・安全でおいしい、日本人のためのサケは、日本人が食べないので中国にいってしまいます。 逆に日本人は、安全面やおいしさの点で大丈夫かなというサケを、安いという理由だけで買って食べているのです。 日本人はこういう情けない民族になったということを現実としてとらえて、自分たちとしてどうすればいいのかを考えなくてはいけません 」

 80年代後半ぐらいからだろうか、われわれは 「安いから」 といって輸入食材を買うようになり、 「楽だから」 といって外食・中食に頼って自分の食事を作ることすら面倒臭がるようになった。 その結果、前に紹介したように、カラスでさえ食べない物を食べ、身体に毒物を蓄積し、同胞である日本人の水産業者を次々と廃業に追い込み、わが国に災厄をもたらし続ける中国を利するような愚かなことをやっている。




 養殖サーモンは天然サーモンと比べ安価で、ω-3脂肪酸( オメガ-3しぼうさん )に富むという利点が知られていますが、混雑したせまい養殖場では病原体も多く、水質汚染も確認されています。 また、身を天然に近い健康的なピンク色にするため染料を混ぜたエサを与えられている養殖サーモンも多いそうです。
 「ω-3脂肪酸が豊富」 という便益と 「体内に蓄積された汚染物質」 というリスクを分析すると、 「 天然サーモンの方が養殖サーモンより健康的な食べ物で、産地によっては養殖サーモンは年に3回以下しか食べるべきでないレベルの汚染物質を含む と言えるとのこと。

チリ南部におけるサケ・マス養殖に関する調査報告







 あまり良いニュースをきくことのない昨今、スーパー大手のイオンが島根の漁協と直接取り引きをし、魚を網ごと買い取る試みに乗り出したとの報道( 東京9/30 )は、久々のグッド・ニュースだった。 「巨大スーパーが日本の町づくりをダメにした」 と日頃講演などでは巨大スーパーの悪口をいっているが、今回ばかりは率直に評価できるニュースだと思った。

 通常の産地セリ価格に一割ほど上乗せした価格、獲れた魚はそのまま網ごと買い上げ ―― となれば、安い漁価、高い流通マージン、燃油高といったトリプル苦に悩む漁民たちにとっては、いいことずくめの話以外の何物でもないと思われたのだ。

 とはいえ、それとともに、この試みが日本人の魚食のあり方を変える切っ掛けになってくれるのではないか、との期待もまたこのニュースで抱くことになった。 というのも、魚を網ごと買い上げるということは、イワシやサンマ、アジやイカといったスーパーの定番魚のみならず、これまでなら売り物にならないとして捨てられたり、養殖魚のエサに回されていた小魚や見慣れない魚も、同時に丸ごと買い上げられるということにもなるからだ。

 となれば、スーパーとしてはそれを売らないわけには行かない。

 「ジャスコ鶴見店では、養殖魚のエサにしかならなかった小サバを3枚におろし、カレー粉をつけ、ソテーや空揚げ用に販売した。 価格は3枚99円で好評だった。 松本マネージャーは 『様々な方法で魚を売るノウハウを高めることで、現場の力が向上し、魚食も増えるはず』 と強調する 」

 これはこのニュースを後追いした10月10日付けの日経の記事だが、当然この試みはそういう方向に行くことになるはず、とその時、同時に期待をもったのである。

 今は魚といえば、スーパーでパック入りの切り身を買うしかないのがご時世である。 しかし、これが日本人本来の好ましい魚食文化を変えたのではないか、というのが認識でもある。 いわば業者押しつけの出来合いが全て、という 「罰当たりの文化」 を身につけてしまったということだ。 築地でマグロ仲卸業を営む生田與克氏は次のようにいう。

 「海が荒れたら漁はできないのに、スーパーが作る1ヵ月後の広告には既に魚の値段が入っている。 机の上で魚の価格が決まってしまっている。 身の大きなサンマを返品されたこともあった。 それではトレーに入らないというのが理由だった。 実はスーパーは、マグロやシャケ、エビ、カニなど売れる魚をそろえて商売しているだけだ。 日本近海の青魚は人気がない。 売り場には輸入品がずらっと並んでいる 」

 いつの間にか日本人は、魚といえばマグロやサケ、エビやカニにしか眼が行かない国民になってしまったといえる。 それも大きさがどうの、見た目がどうの、値段は1円でも安くということになり、国産のサケよりチリ産の養殖サケということになってしまったのだ。 その結果が、そうした尺度に合わない日本近海の魚が簡単に捨てられるという現実となり、それを獲る日本の漁業者の生活が成り立たないという現実にもなっているわけだ。 生田氏は更にいう。

 「漁業の将来は、消費者の動向にかかっている。 国産の魚をもっと食べれば、価格維持のために魚を捨てる必要はなくなる。 需要が底上げされていけば、燃油代が高くなった分を相殺できる価格での取引も可能になる。 ( 中略 )サンマやアジ、サバなど、日本の近海でとれる魚はまだいっぱいある。 その時々にとれる魚を、工夫して食べていけばいい。 レシピを見てアジフライにするのではなく、魚屋にアジがあったからフライにして食べるというように 」

 海の近くに生まれたこともあり、子供の頃から魚をよく食べさせられた。 今でも覚えているのは、漁師のおかみさんが売りにきた、その日地引き網でとれた小魚を母がフライにして食べさせてくれたこと、近所の魚屋さんが 「今日はこれが美味しいよ」 と山と積まれた近海魚を母などに勧めていた光景である。

 








 『明日への選択』 ( 平成21年1月号 )のインタビューに登場いただいた生田與克さん( 築地魚河岸マグロ仲卸業 「鈴与」 3代目 )の話の最後に、 「魚食スペシャリスト検定」 というのがあった。

 同検定を創設した国際魚食研究所によると、魚食スペシャリストとは、魚に関する幅広い知識と経験を持ち、魚料理、文化、歴史、健康、漁法、環境、流通、販売、資源管理まで、トータルにアドバイスできる 「魚食の専門家」 で、同検定は 「日本の伝統的な食文化を継承し、未来に伝える初めての資格」。

 去る11月23日、初めての検定試験( 3級 )が都内2ヵ所で開かれ、246人が受験した。 同研究所の所長も務める生田さんは、 「検定を始めるということを告知して以来、 『こういうのを待っていた』 と知らない人達からひっきりなしに激励の電話をもらった。 予想以上に多くの方に受験していただいたが、6割は一般の方々で、大変感激している。 今後は1000人をめざして頑張りたい」 と話している。


◆ サバの正しい食べ方

 実際に試験に出た問題と解答をいくつか紹介しよう。 まず、われわれの食生活にもすぐに役立つ身近なものから。
 サバの特性に合った食べ方について、次のうちから、適切ではないものを選びなさい。
鮮度落ちが早く、ヒスタミン物質が含まれるので、生食には注意が必要
秋サバとしておいしいのはマサバで、夏にはゴマサバのほうがおいしいといわれる
みそと相性が良く、みそ煮はサバの代表的な食べ方である
卵は加工して 「カラスミ」 の原料となるので大事にする
 正答はD。 カラスミはボラやサワラの卵巣を塩漬けし、乾燥させたもので、サバとは関係ない。 検定の公式テキスト 『魚食スペシャリスト検定3級に面白いほど受かる本』 ( 中経出版 )によると、夏に産卵するサバは、秋に太り、脂がのって旨くなる。 マサバは特にその傾向があるが、ゴマサバは年間通して味はほぼ変わらない。 ただ、サバは鮮度落ちが早く刺身だけはダメ。 みそ煮は他の魚では余りやらないが、サバは相性がいいという。


◆ 魚がいなくなる?

 魚食スペシャリストは、魚の特徴や食べ方に詳しい単なる 「魚博士」 ではなく、水産業全体についてトータルな知見が求められる。 それゆえ試験ではこんな問題も。
 FAO( 国際連合食糧農業機関 )の 『世界漁業・養殖白書2006』 によると、現在、世界の魚介類の25%が 『過剰利用されているか、枯渇している』 状態にあり、さらに52%が、すでに 『限界まで利用』 されていて過剰利用の一歩手前にあるといいます。 これは何を意味していますか。 次のうちから、適切なものを選びなさい。
世界の魚介類の77%は、安定的に供給されている
世界の魚介類の77%は、海から消えてしまった
世界の魚介類の77%は、資源の危機にひんしている
世界の魚介類の77%は、食べてもさしつかえない
 正答はC。 最近わが国でも 「マグロが食べられなくなる」 と騒がれることがあるが、現在世界の魚が枯渇の危機に瀕し、今世紀半ばには海から魚がいなくなると警告する学者もいる。 この問題はそうした水産資源の現状を正しく把握しているかを問うているわけだ。


◆ 「えびす」 の心とは

 日本の魚食文化に関する問題も多数あるが、スペシャリストでなくとも知っておかなければならないこんな問題も。
 日本の漁業に古くから伝わる 『えびす』 とは、何をさすものでしょうか。 次のうちから、適切ではないものを選びなさい。
かつての日本の漁業は、 「えびす」 である海の幸をじっと待ち、とれたものをありがたくいただくものだった
肉や皮、脂からヒゲにいたるまで利用価値が高く、カツオやイワシなどを沿岸に追いこんでくれるクジラを 「えびす」 と呼ぶ地方もあった
魚がたくさんとれた日は、漁師はみなニコニコと 「えびす顔」 になることから、明日も頑張って漁をしよう、という意味の合言葉だった
「 えびす」 とは七福神の恵比寿様で、商家における生業の神であるが、魚とつり具を抱えた姿は海の恵みの象徴でもあった
 正答はC。 A、B、Dにもうかがえるように、日本の漁師の間では、海の拾い物を 「寄りもの」 と喜び、幸運をもたらす 「えびす」 であると信じられてきた。 いまや日本の消費者は、 「安いから」 と輸入物のマグロ、サケ、エビばかりを求めるけれども、その陰でマイナーな魚が捨てられている。 「えびす」 の心は、われわれ消費者にこそ必要だ。








鯨問題の論理でクロマグロを語るなかれ!

 この1ヵカ月は、クロマグロの問題が連日マスコミで取り上げられ、ちょっとした騒動となった感があった。

 これだけ注目を浴びたのは、ワシントン条約( 絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約、CITES )の締約国会議で、高級なトロがとれる大西洋クロマグロを、パンダやシーラカンスなど 「絶滅危惧種」 が記載された 「付属書1」 に加えるよう提案されたからだった。 もしこれが通れば国際取引が全面禁止となり、マグロが食べられなくなるということで騒がれたのだ。

 しかも、間の悪いことに、締約国会議までの1、2ヵ月は、日本の調査捕鯨についてオーストラリア政府が国際司法裁判所に提訴する方針を固めたり、シー・シェパードの船長が逮捕されたり、日本のイルカ漁を批判する映画が米アカデミー賞で受賞したりといったことが重なって、メディアでは鯨・イルカの問題とマグロの問題があたかも同様の問題、要するに 「日本叩き」 の道具としての側面が強調された感があった。

 最終的には、国際取引の禁止を提案したモナコの原案も、禁輸まで1年の猶予期間を設けるとしたEUの修正案も大差で否決され、この騒動は収束して行った。 しかし、これがわが国にとって果たしてよかったのかどうか、答えを留保せざるを得ない。

 外交的側面から見れば、当初伝えられた不利な状況を跳ね返し、最終的に否決まで持っていったことは一定の成果を収めたと言えるかもしれない。 とりわけ 「日本叩き」 を跳ね返したとなれば、本来は喝采すべき話だろう。 だが、この問題の本質はあくまでもマグロという限りある漁業資源に対して、日本人がどう付き合って行くかという問題のはずである。 むろん国際交渉は正論がそのまま通るような甘い世界でないことは百も承知だが、この本質を脇に追いやったままでは同じことを繰り返すだけと思えてならないからだ。

 これまで日本漁業をめぐる問題について何度か専門家にインタビューを試み、冨岡一成氏の連載 「日の本に魚食文化あり!」 ( 『明日への選択』 平成21年10月号 )ではまさに今回の問題が論じられていたが、ここでは今回の騒動で飛び交った情報の混乱を整理し、改めてマグロ問題を考える視点を提供したい。


クロマグロ問題の本質

 そもそも、なぜ今、クロマグロがCITESの議題に上がったかといえば、早い話、クロマグロが減っているからである。 大西洋まぐろ類保存国際委員会( ICCAT )によると、大西洋クロマグロの資源量は1974年に約30万トンあったのが現在は8万トン弱にまで減っている( 96年には国際自然保護連合のレッドリスト入り )。 そのためICCATは国別の漁獲枠を設けているが、この規制は密漁等により有名無実になっていて、効力を発揮したことがない。

 水産資源学の専門家、勝川俊雄三重大学准教授は言う。

 「管理機関ICCATは、科学者の提言を無視してきた。 2006年の会合では、科学者が1万5000トンの漁獲枠を勧告したのに対して、ICCATが設定した漁獲枠は3万トン。 実際の漁獲量は、漁獲枠をはるかに上回る5万~6万トンと推定されている。 保全の必要性が叫ばれてから20年近く経過しても、事態は悪化する一方であった」 ( みなと新聞 3.24 )

 そこで業を煮やした諸外国が騒ぎだし、CITESで全面禁輸にしないとクロマグロは絶滅してしまう恐れがあるということで、モナコによる提案となったわけである。

 もっとも、この資源悪化の直接的な原因は、イタリアやスペインなどの畜養マグロ業者が過剰漁獲したことにある。 しかし、その畜養マグロ業者がなぜ過剰漁獲していたかといえば、それは日本の消費者の胃袋を満たすためである。 現在、日本人は世界全体のマグロの4分の1、クロマグロだけでいえば世界の 7~8割を食べている。 つまり、耳の痛い話だが、日本人が余りにもクロマグロを食べ過ぎたことこそ、資源悪化の元凶なのである。

 しかも、蓄養は弊害だらけである。 冨岡一成氏は連載でこう述べていた。

 「畜養とは、魚にエサを与えて全身トロという状態をつくりだす養殖漁業の一種。 90年代に地中海ではじまり、日本の商社を通じてビジネスとして広まりました。 養殖といっても天然のマグロをつかまえるし、大量の小魚をエサとするので、天然資源に大きなダメージを与えてしまいます 」

 冨岡氏によると、蓄養マグロを1キロ増量するのにはエサになるイワシ、サバ、イカなどの天然魚が約15キロも必要だという。 養殖場は狭いため、 海流による浄化作用が効きにくく海洋環境の汚染につながりやすい。 病気にかからないよう薬品も投入するため、海洋環境ばかりか人体への影響も懸念されている。 「これが、かたっぱしから日本へ送られ、回転寿司などでガンガン消費」 されているというのだ。


ぼかされた本質

 しかし、この1ヵ月の騒動の間、ICCATの規制が 「尻抜け」 になっていることや、蓄養の問題点も、ほとんど指摘されることがなかった。 その代わりに前面に出てきたのは、 「環境団体の陰謀説」 「近大マグロ」 「マグロ食文化論」 等々である。 これらによってマグロ問題の本質が 「資源管理」 にあることがぼかされてしまった。

 ここに挙げた3つに絞って紹介すると、 「環境団体の陰謀説」 の典型例は、産経新聞に載った2人の専門家のコメントである。

 「大西洋・地中海産クロマグロの禁輸を求める団体は動物保護だけを訴え、それにかかわる人間の生活を守ることには注意を払わない」 「クロマグロ保護は寄付金集めの象徴になった」 ( 元ワシントン条約事務局長のユージン・ラポワント氏 )

 「環境問題というより政治そのもの。 クロマグロはポリティカル・フィッシュにされた」 ( 水産ジャーナリストの梅崎義人氏 )

 マグロに限らず、野生生物の保護をめぐる問題の背景で、環境保護団体が暗躍していることはつとに知られた事実であり、それに対して注意を払い毅然と対応しなければならないのは言うまでもないことである。 しかし、だからといって、世界のクロマグロの8割近くを消費する日本が何もしなくていいということにはならない。

 それゆえマグロ問題を知悉する梅崎氏もこう続けている。 「日本はこれまで食文化・習慣を守るため、と自分の立場だけを主張することが多かった。 地球の食糧問題を考えると、海洋生物の持続的利用しか人類の生き残る道はないなど大きな視点で訴えることが重要」 と。

 このことを日本の消費者は確認しておく必要がある。

 2つ目の 「近大マグロ」 とは、近畿大学が世界で初めて成功した 「完全養殖」 で育てられたマグロのこと。 完全養殖では、一度人工孵化から成魚まで育てたらその後は養殖された魚を親魚にして卵をとる。 この繰り返しであれば天然資源を使わずに養殖を続けることができる。 テレビ番組ではどういうわけか、この近大マグロがやたらと紹介されていた。 海に泳いでいるマグロが減ってきて獲れないならば、養殖すればいいじゃないか、ということなのか。

 だが、水産問題の第一人者、小松正之政策研究大学院大学教授によれば、完全養殖の技術はまだ天然の種苗に比べて生存率が低く、企業化するには克服すべき点があるという。 また種苗をほとんど天然の子マグロに依存するため、近年、日本近海での小型クロマグロの漁獲が急増し、乱獲が心配されているという。 海洋汚染の恐れがあるのは言うまでもない。


マグロと鯨は別問題

 そして3つ目は本来は別々であるはずのマグロ問題と鯨問題が、なぜか同様の文脈で語られたことである。

 先に鯨問題をめぐる事実を確認しておくと、わが国は伝統ある捕鯨国であり、数百年にわたって鯨を食べてきた食文化をもつ。 また反捕鯨国は鯨の 「絶滅の危機」 を叫ぶが、これは科学的根拠に基づかない思い込みだ。 わが国は科学調査に基づいて、鯨が3~5億トンもの魚を消費して魚が減っている事実を明らかにし、商業捕鯨再開の正当性を訴えてきた。 国際捕鯨委員会( IWC )の科学委員会もその正当性を認め、IWCに対して商業捕鯨再開を求めているが、 反捕鯨国の政治的理由により再開されていない。

 また、わが国が現在行っている調査捕鯨は条約で認められた合法的な行為であるが、これに異を唱え不当な妨害活動を行ってきたのがグリーンピース、そしてグリーンピースからも爪弾きにされFBIからエコ・テロリスト扱いされているシー・シェパードである。 これらに対して日本政府が法に基づいて毅然と対処すべきことは言うまでもない。

 不可解なのは、今回、日本政府もマスコミもこの鯨問題の構造をそのままクロマグロに当てはめて語っていたことだ。 その典型的な一例は、CITESでの否決直後、尊敬する高名な 「食」 の専門家のコメントに見られる。

 「今回の大西洋クロマグロをめぐる欧米の議論は科学的根拠に基づいたものではなく、大いに政治的な色彩を帯びていた。 日本人は稲作民族であると同時に魚食民族でもある。 中でもマグロの占める位置は大きく、その食文化を否定されていれば、クジラの問題と同様、大きな文化的損失になっていた」 ( 毎日新聞3.19 )

 前半の欧米の議論が政治的色彩を帯びているとの指摘に異論はない。 だが、鯨とは正反対に、クロマグロの減少は各種科学調査にも明らかであり、いま大事なことは、政治的な問題であろうとなかろうと、日本が 「尻抜け」 は断固許さないという姿勢で、資源管理に積極的に取り組むことではないのか。

 後半は 「弘法にも筆の誤り」 と言いたくなるようなコメントである。

 日本人が魚食民族で古くからマグロを食べてきたことは事実であるが、そうした伝統的なマグロの食文化と、マグロの 「トロ」 に偏った近年の嗜好とは別物だ。

 築地魚河岸でマグロ仲卸業を営む生田與克氏によると、マグロはもともと下魚で、クロマグロの別名であるシビは 「死日」 に繋がるから縁起が悪いとして、特に武士には見向きもされなかったという。 今日のようにトロが好んで食べられるようになったのは、食生活が変化し且つ冷凍技術が発達した戦後も高度 経済成長期以降のことで、 「ウチのオヤジの若い頃は大トロの部分は魚河岸では捨てられていたそうだ」 ( 『たまらねぇ場所 築地魚河岸』 )。

 このように歴史の浅い 「トロ嗜好」 をご大層に 「食文化」 などと呼べるかどうかは疑問である。 少なくとも数百年続く 「鯨の食文化」 と同列に論ずるのは、智慧と工夫を重ねて世界に冠たる魚食文化を築いてきた先人に対し失礼という気がする。

 しかも、その歴史の浅いトロといえども、バブル期まではキロ5000円もしたため、一般の消費者はなかなか口にできなかった。 それが90年代以降、 蓄養によってキロ2000円にまで値段が下がり、回転寿司等で簡単に口にできるようになった。 表面的にはトロが安く食べられるようになったことはいいことのように見えるかもしれない。 だが、それにより資源状態が悪化し、今ではむしろ価格高騰が避けられない流れに逆転しつつあるばかりか、全面禁輸までもう一歩という所まで追い込まれた。 その張本人は回転寿司、スーパー、消費者自身に他ならない。 この事実をどう考えるかということである。


「日本の魚」 を食べ、 「日本の海」 を守れ

 結局、マグロが減っているのであれば、しばらくは我慢して、他の魚を食べればいいだけの話ではないのか。

 小松正之氏は 「本来、くろまぐろは 『晴れの日』 のご馳走だった。 『まぐろは日本人の食文化だ』 と言う前に、くろまぐろの大量漁獲を止めさせることだ」 ( 「まぐろ危機と魚食の改革」 )と述べているが、かつて秋田県でハタハタが全滅しそうになったとき、3年間禁漁することによってハタハタが戻ってき たという有名な話もある。

 だいたい、わざわざ地球の裏側の大西洋からマグロを輸入しなくても、日本近海には 「うまい魚」 が沢山いる。 わが国は陸の面積は小さいが、排他的経済水域をふくめた海の面積は世界第6位の広さを誇る。 特に日本近海は 「世界3大漁場」 と言われ、昔に比べれば漁業資源は減って来てはいるものの、国民の食料を賄うのには困らないだけの量がある。

 ところが、現在わが国では漁業生産量の約3割は 「未利用魚」 になっている。 加工に回すのはまだいい方で、捨てられるものも少なくない。 しかも、サケは 「高い」、サバは 「小さい」 「形が揃わない」 と日本の消費者や外食産業が見向きもしないから、中国やアフリカに輸出されている。

 自国の周辺に十分な資源がありながらそれは食べずに輸出し、逆に世界中からマグロを買い漁って 「日本叩き」 の材料を自ら作り出している。 こんな愚かなことがあろうか。

 わが国では古来、海の拾い物を 「寄りもの」 と喜び、幸運をもたらす 「えびす」 であると信じられてきた。 だから漁法もやさしく、延縄漁、一本釣りなどで魚を根こそぎ獲ってしまうようなことはなかった。 獲った魚は決してムダにせず、煮る焼く蒸すと様々な智慧と工夫を重ねて美味しくいただいてきた。 さらに鰹塚、鮟鱇塚、蛤塚などの碑を建立して魚に感謝し、供養を怠らなかった。 今回のマグロ騒動を通じて再確認されるべきは、むしろそうした 「日本の魚食文化」 ではなかったか。

 蛇足だが、そのことが分かれば、日本の島・海・資源を中国に奪われないようもっとしっかり守ろうという気になるはずだ。 本来はこうした死活的な問題をふくめ、総合的に国益を追求すべきだろう。 消費者の欲を満たすだけが、 「歴史と伝統の国・日本」 の外交ではない。









 日本政策研究センターの月刊誌 『明日への選択』 では、この和食の素晴らしさについて、様々な切り口から紹介してきたが、ここではその一部を紹介したい。
 スシ、テンプラ、スキヤキ、ミソスープ、トウフ …… 今、世界中でこれらに代表される 「和食」 あるいは 「日本食」 「日本料理」 といわれるものが注目を浴びている。 そうした中で、政府は 「和食」 を 「世界無形文化遺産」 に登録することを目指し、ユネスコに提案書を提出した。

 日本の和食が世界で注目されていることは率直によろこばしいことであり、なにか誇らしい気分にもなるが、しかし、当の日本の 「食」 の現状はどうかというと、洋風化・多様化が著しく進み、和食はワン・オブ・ゼムの料理に過ぎなくなっている。 また世界に注目されているといっても、その和食の良さや成り立ちを今日のわれわれはほとんど知らない。 これではたとえ 「世界遺産」 となったところで虚しい限りではあるまいか。

 そこで、 『巨大都市江戸が和食をつくった』 の著者で、食文化史や近代農業史の専門家でもある渡辺善次郎氏に、世界から注目される 「和食」 の成立過程と、その歴史から見た日本人の 「食」 の在り方について聞いた。


◆世界に普及する和食

――今、世界中で 「和食」 「日本食」 が人気だということをよく聞きますが、実際には各国でどのように見られているのでしょうか。
渡辺じつを言いますと、僕はこれまで60ヵ国ぐらいを旅して回ってきたんですが、どこへ行っても日本食があるんです。
ニューヨーク、パリ、ロンドンなどの大都市はもちろんだけれども、南太平洋のタヒチやフィジー、アフリカのタンザニアやケニアなど、日本人が余りいないようなところでもスシ・バーがあるし、スーパーに行けばトウフ、ショウユ、ミソスープなどの日本食が並んでいます。 そんなところで地元の人が買って成り立つのだから、これはもう日本人だけの食べ物ではなく、世界中の人間が食べているんだと実感しますね。
特に先進国では、スシ、テンプラ、スキヤキはもう一巡して、今では手打ちそばやふぐ料理まで食べるようになっていますし、アメリカでは枡の端に塩をのせて冷酒を飲むのが流行ったこともあります。 「sushi」 だけでなく 「sake」 もすでに世界語ですよ。 また、ニューヨーク・タイムズの社員食堂には焼きそばや冷し中華もあるし、パリのオペラ座近くにはラーメン屋横町まであります。
――日本食は日本人が想像している以上に普及しているんですね。
渡辺もっとも、それらは日本人が作っているとは限らないし、これが日本食かと思うものも多い。
2年前にノルウェーのベルゲンという、音楽家のグリークの出た港町でスシ・バーに入って、メニューにあったのでミソスープを頼んだら、真っ黒なスープが出てきました。 何だこれはと思いながら飲んでみたら、醤油をお湯で割ったものだった。
パリのカルチェ・ラタン地区で日本食レストランに入ったときは、フランス人のカップルがいて、ごはんを頼むなり醤油をジャバジャバかけていた( 笑い )。
世界中に普及しているといっても、ちゃんとした日本食と言えないものも多いんです。 でも、日本だって明治の頃に洋食を食べ始めたときは外国人がびっくりするようなものでしたから、だんだん洗練されてゆけばいいなと思って見守っています。
それから、世界を旅していると、よく 「日本人は素晴らしく頭がいい」 と言われるんです。 これは高品質な日本製品からマンガのようなサブカルチャーまで日本のいろいろなものが世界に普及した影響、つまりるところ日本の国力の反映だと思うのですが、彼らは続けて 「頭がいいのは、魚を食べるからだ」 と言う。
僕は2年ほどスペインにいたことがあって、時どきスペイン人の友人に食事に招かれました。 その家では普段は魚はあまり食べないのですが、僕が行くときは 「日本人だから魚がいいだろう」 と魚料理でもてなしてくれる。 だけど、普段は食べないせいかその家の子供たちはイヤな顔をしているんです。 それでお母さんが、 「食べなきゃ日本の方みたいに頭よくならないわよ」 と( 笑い )。
まあ、そんなふうにメイド・イン・ジャパンは優秀でクールだ。 それをつくる日本人は頭がいい。 なぜか。 魚を食べているから。 そういう3段論法で、日本食はインテリジェントなものであるというふうにも捉えられています。
――非常にいいイメージで日本の食文化が受け入れられているわけですね。
渡辺いいですね。 海外で日本料理店というと、だいたいは高級店で、インテリや中から上ぐらいの階層が日本食を支持していて、一種のステータスシンボルになっています。